学校へは電車で一時間半ほどかかる。
遠いところに来ているなとは思っているけども、学校の周りを見に行こうと、学外を歩くことは少ない。外に出て知らない町を歩くというのがキライなわけではないのだが。
朝のラッシュにもまれてしまって、学校に着くまでにヘトヘトになってしまうから、なんともしようがなかったのである。
ところがこのごろ、あたたかくなってきたのと、まとまった絵の展示を終えて暇になったのとで、余裕ができてきた。
ならば学校を出て動き回ろう、ということになったのだが、まずは家から自転車を持ってくることにした。家のガレージのすみに、使わなくなって二年ほど経つ古い自転車があったので、それを学校用の自転車にしようと思ったのだ。
この自転車は、ぼくが中学校に入学するというので、その記念に買ってもらったものだ。
もともとぼくは自転車でどこかへ行くのが好きだ。
小学校の、夏休みの自由研究で、住んでいる町の周りを自転車で探検し模造紙の大きな地図にしたことがある。
たぶんそのあたりから、自転車で自分の知らない遠くの町へ行く…ということを始めたのだろうと思う。最初は家の前の川の向う。そのつぎはとなり町、次はとなりの市、つぎはとなりの県―― と、だんだん距離を伸ばしていったのだった。
最初の大掛かりな自転車の旅では、宝塚へ行った。朝早く起きて自転車に乗るというのは、初めての体験だった。
中学高校の頃はすべて日帰りのサイクリングだった。日帰りの限界は淡路島と琵琶湖で、琵琶湖のときは、湖をチラッと見て帰路についたのだが、途中でパンクしてしまい、ふらふらになって帰った、なんてこともあった。
あれはたしか…
高校を卒業したとき、友だちと三人で三重県をめざして出発した。
一週間かけて、大阪から奈良県、そして三重県の大王崎で海を眺めて津市を回って、京都から大阪に帰ってきた。まったくの行き当たりばったりで、一週間かけて走ったのだが、これが最長記録である。
ガレージの隅にある自転車は、三重県まで行ったときに乗った、ごく変わり映えのない普通の通学用自転車である。
その時すでにかなりボロボロだったのだが、今までなんとか耐えているというかんじだ。
ぼくは今はこれとはちがう自転車を使っている。だから一台この自転車だけ余分になっているのだけれども、かろうじて壊れていないのと、思い出が相当たくさんあるのとで捨てられないでいるのだ。
ぼくはこの自転車に乗って、学校を目指した。
この自転車に乗るのは久しぶりだった。出発前にサドルを上げて、ふしぶしに油をさすと、黒ずんだ油がぽたぽたおちて模様をつくっていった。
タイヤが少し曲がっているので、走り出すと揺れて、規則正しいリズムにゆれた。
静かな道を選んだ。
十時過ぎに家を出たときは、もうすでに日差しがあって、あたたかかった。ところどころに開きかけた桜の木が見えた。
調べてみると、家から学校までは五十キロほどあった。この距離はそんなにたいした距離ではないと思った。
なにしろ電車で一時間半だし、三重にくらべたら、それこそ圧倒的に気楽なのだった。おまけに片道でいいのだ。京都へ自転車で行くのは久しぶりだった。
考えてみれば、サイクリング自体、三重に行ったあとはやっていなかった気がする。もうあの行き当たりばったりの旅から二年が過ぎたのだ。タイヤがガタガタなのでかなり気を使って、道を選んで走った。
途中、通りかかった知らないスーパーに立ち寄っては飲み物を買ったりおやつを買ったりして、食べながら飲みながら走った。休憩のほうが多かったのではないだろうか・・・と今になってそう思う。
高槻の田んぼ道を走っているときが特に気分が良かった。地図を持たずに出かけてしまうのはいつものことで、その時その時の勘にすべてを傾けて道を選ぶ。このときはかなりサエていたのだとおもうけども、とにかくいい道ばかりだった。
地図を持たなくても前に進めるのは、たぶんどこから行ってもおなじ場所にたどりつけるように、つながっているからだと思う。
それにしても、自転車に乗ったときの自分は、風になったみたいに、まるで力が入らないということに気がついた。
油をさした自転車は、それほど力を入れなくても坂をのぼった。
どうしてもしんどいなー、となったときは歩いた。
向日町の坂道はきれいだった。丘から京都の町を眺めることもできた。あ、あそこに西友があるな、と目印を発見して、あっちに行こうと思ったり、なかなか橋がなくて堤防をずっと走ったりした。
―2009年4月の記事。未完結。
遠いところに来ているなとは思っているけども、学校の周りを見に行こうと、学外を歩くことは少ない。外に出て知らない町を歩くというのがキライなわけではないのだが。
朝のラッシュにもまれてしまって、学校に着くまでにヘトヘトになってしまうから、なんともしようがなかったのである。
ところがこのごろ、あたたかくなってきたのと、まとまった絵の展示を終えて暇になったのとで、余裕ができてきた。
ならば学校を出て動き回ろう、ということになったのだが、まずは家から自転車を持ってくることにした。家のガレージのすみに、使わなくなって二年ほど経つ古い自転車があったので、それを学校用の自転車にしようと思ったのだ。
この自転車は、ぼくが中学校に入学するというので、その記念に買ってもらったものだ。
もともとぼくは自転車でどこかへ行くのが好きだ。
小学校の、夏休みの自由研究で、住んでいる町の周りを自転車で探検し模造紙の大きな地図にしたことがある。
たぶんそのあたりから、自転車で自分の知らない遠くの町へ行く…ということを始めたのだろうと思う。最初は家の前の川の向う。そのつぎはとなり町、次はとなりの市、つぎはとなりの県―― と、だんだん距離を伸ばしていったのだった。
最初の大掛かりな自転車の旅では、宝塚へ行った。朝早く起きて自転車に乗るというのは、初めての体験だった。
中学高校の頃はすべて日帰りのサイクリングだった。日帰りの限界は淡路島と琵琶湖で、琵琶湖のときは、湖をチラッと見て帰路についたのだが、途中でパンクしてしまい、ふらふらになって帰った、なんてこともあった。
あれはたしか…
高校を卒業したとき、友だちと三人で三重県をめざして出発した。
一週間かけて、大阪から奈良県、そして三重県の大王崎で海を眺めて津市を回って、京都から大阪に帰ってきた。まったくの行き当たりばったりで、一週間かけて走ったのだが、これが最長記録である。
ガレージの隅にある自転車は、三重県まで行ったときに乗った、ごく変わり映えのない普通の通学用自転車である。
その時すでにかなりボロボロだったのだが、今までなんとか耐えているというかんじだ。
ぼくは今はこれとはちがう自転車を使っている。だから一台この自転車だけ余分になっているのだけれども、かろうじて壊れていないのと、思い出が相当たくさんあるのとで捨てられないでいるのだ。
ぼくはこの自転車に乗って、学校を目指した。
この自転車に乗るのは久しぶりだった。出発前にサドルを上げて、ふしぶしに油をさすと、黒ずんだ油がぽたぽたおちて模様をつくっていった。
タイヤが少し曲がっているので、走り出すと揺れて、規則正しいリズムにゆれた。
静かな道を選んだ。
十時過ぎに家を出たときは、もうすでに日差しがあって、あたたかかった。ところどころに開きかけた桜の木が見えた。
調べてみると、家から学校までは五十キロほどあった。この距離はそんなにたいした距離ではないと思った。
なにしろ電車で一時間半だし、三重にくらべたら、それこそ圧倒的に気楽なのだった。おまけに片道でいいのだ。京都へ自転車で行くのは久しぶりだった。
考えてみれば、サイクリング自体、三重に行ったあとはやっていなかった気がする。もうあの行き当たりばったりの旅から二年が過ぎたのだ。タイヤがガタガタなのでかなり気を使って、道を選んで走った。
途中、通りかかった知らないスーパーに立ち寄っては飲み物を買ったりおやつを買ったりして、食べながら飲みながら走った。休憩のほうが多かったのではないだろうか・・・と今になってそう思う。
高槻の田んぼ道を走っているときが特に気分が良かった。地図を持たずに出かけてしまうのはいつものことで、その時その時の勘にすべてを傾けて道を選ぶ。このときはかなりサエていたのだとおもうけども、とにかくいい道ばかりだった。
地図を持たなくても前に進めるのは、たぶんどこから行ってもおなじ場所にたどりつけるように、つながっているからだと思う。
それにしても、自転車に乗ったときの自分は、風になったみたいに、まるで力が入らないということに気がついた。
油をさした自転車は、それほど力を入れなくても坂をのぼった。
どうしてもしんどいなー、となったときは歩いた。
向日町の坂道はきれいだった。丘から京都の町を眺めることもできた。あ、あそこに西友があるな、と目印を発見して、あっちに行こうと思ったり、なかなか橋がなくて堤防をずっと走ったりした。
―2009年4月の記事。未完結。