自分を卑下する思いが
ふつふつと湧いてくる。
そんな人、結構いらっしゃるのでは
ないでしょうか。
どうせ自分なんか。。。
ふつふつと湧いてくる。
そんな人、結構いらっしゃるのでは
ないでしょうか。
どうせ自分なんか。。。
愛されない。
誰も気にかけない。
努力しても無駄。
何をやっても報われない。
助けてくれる人なんかいない。
などなど。
そんな思いに毎瞬、苛まれて、
生きる気力を失っていく。
そういう方を、しばしば見かけます。
生まれたときは、みな無垢な赤子として
この世に生まれ落ちるのに、
誰も気にかけない。
努力しても無駄。
何をやっても報われない。
助けてくれる人なんかいない。
などなど。
そんな思いに毎瞬、苛まれて、
生きる気力を失っていく。
そういう方を、しばしば見かけます。
生まれたときは、みな無垢な赤子として
この世に生まれ落ちるのに、
どうして、いつの頃からこんな思いに
苦しむようになったのでしょうか。
人それぞれの生い立ちの中で、
自然に持っていた自尊心を挫かれる
体験をしてきたのかもしれません。
こういう状態から健全な自尊心を
取り戻していくには、
自尊心を挫かれた体験の痛みを
ちゃんと統合してあげることが
大事です。
いじめだったり虐待だったり、
1つの出来事で、というよりは、
ある程度継続して苦しい状況の中にいた
経験のある方が多いと思うのですが、
そういう場合は、その時代の記憶が
すっぽり抜けている、ということも
よくあります。
とても辛すぎたので、
ある意味、冬眠するように自分の意識を
閉ざすことで、その時代を生き抜いてきた
のでしょう。
セッションでそのような時代に
働きかけるときは、すこ~しずつ慎重に、
今の本人が受け止められる分ずつ、
蓋を緩めていきます。
固く閉ざされた記憶の扉の前に立った時、
すごく緊張して、身がすくむような
思いをすることもよくあります。
何度も逡巡しながら、心を決めて
ぐっと扉を押して、あの頃の自分を
お迎えに行く。
それは、とても勇気の要ることでしょう。
でも、たとえ今すぐにはできなくても、
いつか自分の準備ができたとき、
ぜひ傷ついた自分をお迎えに
行ってあげてほしいのです。
そうしないと、
当時の自分は苦しい世界にずっと
居続けることになるので。
その自分は、今この瞬間も、
あの辛かった世界で助けが
来てくれることを待っています。
そして、それができるのは、
自分しかいないんですね。
だから、その自分が蓋をして当時の自分を
忘れている、いないことにしている
ということは、あの世界にいる自分には
絶望でしかないのです。
そういう自分の絶望感が、
日常の気分に染み出してきます。
どうせ誰も助けてくれない。
一人ぼっちだ。
私なんて価値がない。
その思いは、
自分が自身をあの世界に置き去りにして
しまっているということを
意味しています。
根本的にその悲しみ、絶望感、孤独感は、
自分が自身をお迎えに行って、
抱きしめることで癒していくことが
できます。
そこが癒えていないと、
それらの気持ちが強烈に依存や執着、
必要以上に自分を差し出して
相手に受け入れてもらおうとしたり
という行為に駆り立てます。
どれだけ頭でわかっていても、
それを止めることができないんですね。
なぜなら、
止めたらあの孤独や悲しみ、絶望感に
まっしぐらだからです。
それを止めるには、
誰かに埋めてもらおうとするのではなく、
自分自身でその辛さを引き受ける
しかないのです。
けれどそれも、覚悟の要ることでしょう。
でも、心が決まれば、
長く苦しんだ地獄を後にすることが
できます。
もう、誰かや何かにすがり付く
必要もありません。
それは、誰かに愛されることや
大切にされることを諦めた結果の決意
とは違います。
そういう諦めは、
まだ心の奥深くで自分を救ってくれる
人を他に求めているし、誰かに
すがりつきたい思いを抱いています。
そうではなく、
自分で自身を満たす決意というのは、
自分自身を信じることであり、
ベクトルが違うんですね。
他者を貪ることを止めたとき、
自分の内から豊かさが溢れてくるのです。
この世界は、どうやったら
外から得られるか、ということを
繰り返し教えられるけれど、
どうやったら自分の内から溢れてくるのか
ということに意識を向けることは
あまりないような気がします。
本当はね、誰も、何も
貪る必要なんてないのにね。
貪らせようとする不自然な力が
働いているのかもしれませんね。
苦しむようになったのでしょうか。
人それぞれの生い立ちの中で、
自然に持っていた自尊心を挫かれる
体験をしてきたのかもしれません。
こういう状態から健全な自尊心を
取り戻していくには、
自尊心を挫かれた体験の痛みを
ちゃんと統合してあげることが
大事です。
いじめだったり虐待だったり、
1つの出来事で、というよりは、
ある程度継続して苦しい状況の中にいた
経験のある方が多いと思うのですが、
そういう場合は、その時代の記憶が
すっぽり抜けている、ということも
よくあります。
とても辛すぎたので、
ある意味、冬眠するように自分の意識を
閉ざすことで、その時代を生き抜いてきた
のでしょう。
セッションでそのような時代に
働きかけるときは、すこ~しずつ慎重に、
今の本人が受け止められる分ずつ、
蓋を緩めていきます。
固く閉ざされた記憶の扉の前に立った時、
すごく緊張して、身がすくむような
思いをすることもよくあります。
何度も逡巡しながら、心を決めて
ぐっと扉を押して、あの頃の自分を
お迎えに行く。
それは、とても勇気の要ることでしょう。
でも、たとえ今すぐにはできなくても、
いつか自分の準備ができたとき、
ぜひ傷ついた自分をお迎えに
行ってあげてほしいのです。
そうしないと、
当時の自分は苦しい世界にずっと
居続けることになるので。
その自分は、今この瞬間も、
あの辛かった世界で助けが
来てくれることを待っています。
そして、それができるのは、
自分しかいないんですね。
だから、その自分が蓋をして当時の自分を
忘れている、いないことにしている
ということは、あの世界にいる自分には
絶望でしかないのです。
そういう自分の絶望感が、
日常の気分に染み出してきます。
どうせ誰も助けてくれない。
一人ぼっちだ。
私なんて価値がない。
その思いは、
自分が自身をあの世界に置き去りにして
しまっているということを
意味しています。
根本的にその悲しみ、絶望感、孤独感は、
自分が自身をお迎えに行って、
抱きしめることで癒していくことが
できます。
そこが癒えていないと、
それらの気持ちが強烈に依存や執着、
必要以上に自分を差し出して
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という行為に駆り立てます。
どれだけ頭でわかっていても、
それを止めることができないんですね。
なぜなら、
止めたらあの孤独や悲しみ、絶望感に
まっしぐらだからです。
それを止めるには、
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自分自身でその辛さを引き受ける
しかないのです。
けれどそれも、覚悟の要ることでしょう。
でも、心が決まれば、
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もう、誰かや何かにすがり付く
必要もありません。
それは、誰かに愛されることや
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とは違います。
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まだ心の奥深くで自分を救ってくれる
人を他に求めているし、誰かに
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貪らせようとする不自然な力が
働いているのかもしれませんね。
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2022年
7月14日(木) 19:00~22:00
8月12日(金) 19:00~22:00
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