感情解放のワークで掘り下げをしていて、しばしば見かけるのが頭で納得して蓋をして終わらせてしまうというパターンです。たとえば、何か癇に障る相手がいたとして、頭で「この人は私の鏡なのよね。見せられてるんだわ」と納得して、実際に感情そのものには対処しないまま、ぐっと我慢しているような状態です。
ワークでは「気づき」によって解放や癒しが起こることが大切で、頭でいくら分かっていたとしても、それでは気持ちの部分で変わりはなく、苦しいままでしょう。
まぁ、分かっていないよりは頭で感情を相手にぶつけることを自重する分だけ、マシかもしれませんが。
けれど、そこで留まっていてはいけません。自分の身体で命の呼吸をしながら感情のエネルギーを受け止めていても、どうにも収まりがつかないという方も多いのですが、そこまでできるのであれば、その状態でさらに心乱される相手の姿をじっと見つめてみましょう。
多分、命の呼吸をしながら身体でエネルギーを受け止めてもそこで止まってしまう方は、呼吸をしながら感情を抑えようとされているか、消そうとされているのではないでしょうか。それでは解放どころか、余計に蓋の圧力を高めているようなものです。
ワークでは、自分の心と体から離れないようにして相手を本当に見つめることができたとき、深い気づきがやってきます。
頭の中が相手への批判やジャッジメント、対処方法や後悔などで一杯のときは、自身の心や身体から離れてマインドの中に吸い込まれてしまっているか、相手を見つめることができていないか、あるいはその両方だろうと思います。
自分のセンタリングをしっかり捉えた状態で相手を見つめることができると、「主体」と「対象」と「現象」が一つになる状態、これがいわゆる「ゼロポイント」と呼ばれるものになるのですが、そこに入るのですね。
その時、マインドの思考理論ではたどり着けない超越的な気づきがやってきます。まったく否定する余地がなく、頭でないところ、自身の全存在でそれが真実であることを疑いなく知る、というような深い気づきです。
ですから、「主体」の自分自身の体感覚に意識を置くのは、それが第一ステップなのでできないよりはずっといいですが、それだけではワークとしては不完全なわけです。
大嫌いな相手、心乱される相手の言動をじっと見つめるというのはいかにも苦痛でしょうが、不思議と「主体」と「対象」の二元性をピッタリと捉えたとき、自他の境が融けて、明らかに相手のその言動が自分自身であるという感覚がやってきます。
その瞬間、あれほど荒れ狂っていた感情の嵐は、一瞬で消え去るのです。
そうした気づきがやってきたときに気を付けたいのは、そのまま気づきの中に留まり続けることです。そこで試行し始めてしまうと、せっかく始まりかけた癒しや統合のプロセスが止まってしまいます。
中には、やって来た気づきがあまりにも受け入れ難いと感じて拒絶し、自らガッチリとブロックしてしまう方もあります。
「受け入れ難い」というのは、自身の中に在る恐れに基づいたジャッジメントに照らし合わせて、自分がそれであることは在ってはならない、と判断したということです。
このブロックを外すには、その根にある恐れに対処していくことになるでしょう。それが癒えて弛めば、気づきの中に留まり、変容のプロセスを通過できます。
なぜそれを受け入れてはいけないのか、受け入れたら自分はどうなってしまうのか、どんな思いをすることになるのか、その理由が恐れなのです。
相手の人は、あなたががっちりと封印をしたその恐れを教えてくれているわけです。
「あなたの中にはこんなものがあるよ。そしてあなたはそれを恐れて自身の可能性を大幅に制限している。気づき、解き放ちなさい」
そんなメッセージなのです。
自分自身も含め、多くの方のブロックの数々を見てきて思うのは、自身の可能性を狭めているのはあらゆる種類の恐れであり、それは過去の体験の痛みです。
そしてそれは、しばしば自身のギフトと結びついていることが多くあります。つまり、今生において、存分にそれを使って成長し、世界に貢献するはずの力に、痛みの記憶が絡みついて制限してしまっているというケースです。
余りにも長いことその恐れゆえに自身の最大の武器を使うことを避け続けてきた結果、本人は自身のギフトを忘却の彼方に忘れ去っていることさえあります。そんな状態にあると、「あなたのギフトはこれですよ」とお伝えしても、まるでピンと来ないと言われます。
けれど、この時代は自身の魂の呼びかけに応え、全力でそれを使ってはじめて本当に生きていける時代です。誤魔化し誤魔化し、そこそこでやり過ごせるような時代ではありません。
それだけに、呼びかけに応えると決めた人には多大な応援サポートがやってきますが、頑なに閉ざそうとする人は、ますます生きること自体が難しくなっていくのです。
可能性を開くために封印を解くということは、ある部分では自身の過去の痛みにしかと向き合うことと密接に結びついてもいます。
色々な封印の解き方はあると思いますが、私はこのようにして自身に向き合う方々をサポートしていきたいと思うのです。
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