徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

源九郎北行伝説(弐)…

2013年10月17日 | 日記
一一八七年四月…
七人の家来と気仙の湊(陸前高田)
を出発し小舟にて北上した義経は
八戸の種差へ上陸…
暫くは白銀村の有力者に身を寄せ
後に長者山の東丘に館を備えた…

その姿が平泉の高舘に似る事から
「高舘の御所」と呼んだらしく
今も残る高舘の地名は
これに由来している本気のマジ話…

更にこの時代のこの土地には
水田を作る技術を持つ人が少なく
沢を流れる水を利用し
小さな田んぼを作り
稲作を広めたのも義経だと伝わり
ここには小田の地名が残るマジ話…

そこに建つ小田八幡宮の境内には
義経伝来といわれる毘沙門天像と
一行が残したという
「大般若経の写経」も保存される…

それもマジで本気の実際話ですが
信じるか鼻で笑うかはあなた次第…

源九郎北行伝説(壱)…

2013年10月17日 | 日記
八戸という街が
義経の北行に信憑をもたせるのは
北行通過点の中で唯一七年間も
滞在した伝承とその痕跡による…
それにはこんな言い伝えが御座候…

父と仰いだ藤原秀衡が病死した後
その子である泰衡に対して
こいつじゃ全然駄目駄目じゃん!
と感じていた義経は
平泉よりも北方に離れ更に尚且つ
海岸にも近い安全な場所を
家来の板橋長治と喜三郎に探らせ
そして見つけたのが
見つかりにくくて攻められにくい
八戸糠塚の長者山だったという話…

因みにこの場所を見つけた
板橋長治の名に由来しているのか
糠塚の中には板橋の地名も残るが
それに関する記録は無い…