徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

屏風の開き方っス…

2013年10月17日 | 日記
南部支藩である八戸藩二万石
その二代目藩主の直政は
マジ頭良かったらしいんスよ…

つーのも
時代は犬将軍綱吉の頃っスが
朝鮮国から屏風の贈物が届き
これを開ける方法が
屏風の外に書かれた詩の中に
隠されてたらしいんス…

綱吉は名の知られた学者達に
謎解きを命じてはみたんスが
誰もお話にすらならず
それを直政が
たちのどころに読んで解き
屏風を開ける事が出来たんス…

因みに関心する話なんスけど
驚いた綱吉が
「スゲーなお前ぇ」っつって
五万石の知行を与えたところ
こともあろうに直政は
これを固辞したらしいんスよ…

それも凄ぇって話なんスけど
国際外交ってのは今も昔も
意地悪とか思惑とかが
存在したっつう話なんスよね…

そんな時の為に
政治家はちゃんと選ぼうって
話なんスけどね…

一生の不覚…

2013年10月17日 | 日記
しまった!
久慈まで行ってきたのに
まめぶ食うのを
忘れていたで御座るぞよ!
それがし一生の不覚!

かくなるうえは、ブスッ!

「殿ぉ~!」

「お供!」 ブスッ!
「お供ぉ~!」 グサッ!
「お供~!」 ズブッ!
「お供!」 グサッ!
「お供ぉ!」 ブスッ!


もう少し~ 時が~
ゆる~やかであったなら~

横丁遊び…

2013年10月17日 | 日記
八戸の夜には横丁遊びがある…

三日町から北へ三百米の間に
みろく横丁や昭和通り
れんさ街に口一丁に花小路
たぬき小路にハーモニカ横丁
そして五番街と
合わせて七つの横丁があるが
五番街が何故に五番なのかは
かなり謎のミステリー…
四番街も無ければ
六番街だって見当たらない…

八戸の前には七戸があり
八戸の後には
九戸があるのにもかかわらず…

因みに横丁は
ライトな感覚のみろく意外は
ことごとくディープな印象…
昭和の時代そのままなりけり…

タイムトンネルを見つけた時
こんな気持ちなんでしょうか…

源九郎北行伝説(四)…

2013年10月17日 | 日記
市内のオガミ神社には
「類家稲荷大明神縁起」という
古文書が残されており
義経一行の平泉大脱出の経緯や
八戸上陸後の斯々然々様々諸々
更に八戸地名の由来が記される…

尚且つ当地当神社には
平泉から共に逃れてきた義経の
妻が祀られており
生前使用していた銅板の手鏡が
今も大切に保管されてる本気話…

妻に先立たれた義経は
長く悲しんだといわれているが
義経は生きているとの噂が
鎌倉で広がっていると耳に入り
もし追ってが来ては
人々に危険を及ぼしてしまう為
一行は更に北へと悲しい現実…

それが八戸を後にした
義経の最後の姿だったと伝わる…
その後の一切の記述は無い…

源九郎北行伝説(参)…

2013年10月17日 | 日記
高舘の御所から遠く見渡して
馬淵川の東の野原を京ヶ原
その更に彼方に見える洲先を
京ヶ崎と命名
それが今の八戸城跡にあたる…

その中にある三八城神社には
弁慶石と呼ばれる大石があり
それは
力自慢の弁慶が岩にしるした
足型だといわれるが
もはや伝説となる弁慶の足が
僕とさして変わらないのは
ちょっと可笑しな話で御座る…

これはちょっと眉唾で御座る…