徒歩日本二周目(≧∇≦)只今関東地方!

昨日は今日の物語 今日の後に今日は無し…

思い出かえらず…

2013年12月22日 | 日記
七夕の 飾ざりは揺れて
思い出はかえらず
夜空輝やく 星に願いを
こめた君の囁き

時は巡り また夏がきて
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない…

思い出はかえらず
 あの人は もういない…




さとう宗幸/青葉城恋歌

観津波八六九年(弐)…

2013年12月22日 | 日記
そんな訳で
貞観津波が止まったと言われてる
多賀城市八幡の「末の松山」は
大津波が越さなかった言い伝えが
歌枕に詠まれているほど
古くから知られた場所だったんス
因みにこんな歌↓があるそうで…

君をおきて
あだし心を わがもたば
末の松山 浪もこえなむ

古今和歌集 巻二十東歌

(意訳)
あなたを差しおいて
他の人に心を移すような事がもし
あったとしたら
波が越える筈がないと言われてる
末の松山をさえ
波が超えてしまう事でしょう…

う~ん、ナイスラブレターでやす…



因みに、行ってないんですけどね♪

貞観津波八六九年(壱)…

2013年12月22日 | 日記
平安時代に編纂された国の歴史書
「日本三大実録」には
今から1100年も前の津波の記述が
凄まじい記録として残る…

以下…
五月二十六日陸奥国で大地震起る…
流れる光が昼のように照らし
人々は叫び声を挙げて身を伏せ
立っている事が出来なかった…
ある者は家屋の下敷きとなり圧死
ある者は地割れに呑み込まれ
驚いた牛馬は奔走し踏みつけ合い
城や数知れないほどの
倉庫・門櫓・障壁が崩れて落ちる…
雷鳴のような海鳴りが聞こえて
潮が湧き上がり川が逆流し
大海嘯が長々と連なって押し寄せ
たちまち城下へと達した…
内陸深くまで
果ても知れないほど水浸しとなり
野原も道も全てが大海原となった…
船で逃げたり山への避難が出来ず
千人ほどが溺れ死に
後には家屋も田畑も人々の財産も
ほとんど何も残らなかった…

 「最新地震津波総覧」より引用…


筆舌し難いその断片に
テレビを通したこの時代の人々も
息が詰まり
何かを感じたのでしょう…

人々の悲劇に心の琴線を揺ぶられ
行動を起こした人達…
そんなあなた達は本当に素敵です…

大きな慰霊塔…

2013年12月22日 | 日記

音の途絶えたその学校は
まるで大きな慰霊塔のように
花を差し替える人々が
日没に両手を合わせていた…

復興したと思った…

そんな事をいう人は多いが
復興したなんて話を
一度だって聞いた事は無い…

空間放射線量…

2013年12月22日 | 日記
仙台市中心部の放射線量数値は
「0.04μSv/h…」
こんなモノが
街の中に当たり前にある時代が
まさか来るとは思って無かった…

核の業が生み出す災いを
少しだけでも考えて欲しい.com…

原子力ムラの話も
それに反対だと叫ぶ人々の声も
どっちも聞いて考えて欲っスィ~

日本人は色んな事に
興味を持たな過ぎだと思います…