



いやはやバッテリー電量が切れまして
ようやく充電出来ましたので続き…
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
そんな倶利伽羅合戦は
平家滅亡が秒読み始めた出来事であり
そして
「悲劇の武将」と言われた木曾義仲の
最も光輝いた時でもあるマジ話…
奥の細道の道中
北陸道のこの場所を訪れた松尾芭蕉は
次の句を詠み
義仲の末路の悲しさに涙したと伝わる…
因みに碑はかなり風化して
おもくそ難読になっておりますで~す…
「義仲の 寝覚めの山か 月悲し」
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
余談っスけど
奥州平泉を通った時も芭蕉の碑があり
義経の最期を想い
やはりそこでも涙していた様で御座い…
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
モンゴル800嘘八百ぅぅぅぅぅぅぅ~!
とお思いでしょうが
松尾芭蕉という人はマジな話
平家物語への思い入れが強かった様で
中でも木曾義仲が大好き!
それだけに芭蕉の死後はその遺言通り
近江の義仲寺にある
木曾義仲の墓の隣に埋葬された本気話…
ルルル~ ルルル~ ルルル~
さて話は再び倶利伽羅峠どえ~す…
因みに!
点在する源平慰霊碑や様々を見るうち
知らず知らずに石川県突入!
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
「ええええええええええええぇぇ~!」
全く気付きませんでしたわよ奥様ぁぁ…
因みにここには日本三大不動の一つ
倶利伽羅不動寺が御座いますが
日本人は兎に角「日本三大」が大好き!
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
そしてその中には
自称日本三大も乱立してるので要注意!
さてさてそんな倶利伽羅峠の不動寺を
チラ見そして二度見したら
更に振り返ってガン見したい所ですが
今回はキッチリと参拝!
なんせ倶利伽羅で御座いますからねぇ~
静寂な中に厳粛な雰囲気
本堂に近づくにつれ聞こえてくる読経…
「中に入って御詣り下さい…」
なんて紙が貼ってあるが
読経真っ最中の入りづらいオーラ全開!
でもせっかくなんでガラガラガラァ~
「あれ?誰もいない…」
やられましたね…
読経のカセットテープごときに
少しでも緊張していた自分が情けない…
そして私は山をおりました…
不動寺の周辺は
今では静かな集落の姿をしていますが
かつては北国街道の門前町として
ドエラく栄えたらしく
今は無き茶店の繁盛ぶりが
江戸期の有名な書物にも載ってるマジ…
今じゃその集落の中にさえ
「熊出没注意!」の看板が貼ってある…
そしてそれが
ふもとに着くまで点在してるんですが
途中の鬱蒼とした山道あたりは
「熊檻設置!注意!」と
「出る」というより最早「居る」感じ…
日も暮れて薄暗い中
さすがに少々心細くもなりますわい…
そんな追いつめられた時には
子供のころに母親から教えてもらった
困った時のおまじない…
それは「秘密」の古ぅ~い言葉…
リーテ ラトバリタ ウルス
アリアロス バル レトリー…
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
もはや完全にラピュタぱくりましたね!
まぁ色々ありましたけど
なんとか無事にふもとまで辿り着き
源平温泉でばれない様に泳ぎましたぞ!
入浴料金三百円!
追伸…
倶利伽羅とは
「剣に黒い龍の巻きついた不動尊像」
的な意味のサンスクリット語であり
養老二年もとい西暦七一八年に
中国から渡来してきたインドの高僧が
持ち込んだ
倶利伽羅不動明王像に由来するマジ話…
その僧の名は善無畏三蔵と言ったそうな…
それと
倶利伽羅峠は有名な心霊スポットだと
近隣の若者が言ってました…
膿川とか地獄谷とかは
今でも刀の音や泣く声が聞こえると
地元の人はみんな知っているそうです…
そんなガクブルな今夜ですが
明日はどうか良い一日であります様に…
