



小松から更に西へ…
金沢から石川を出るまではずっとずっと
九谷焼の産地が続きまくって御座い!
それだけに
焼き物を扱う土産屋さんも多く
かなり滅茶苦茶にガン見しまくる予定表!
しかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~し!
ざっくり確認した所
さすがにこの時期駐車場はガラっガラン!
入ったはいいが
出るに出れなくなった時の変な雰囲気は
精神的にもかなり削られる…
更に、何も買って無いのに
「ありがとう御座いました…
またお越しくださいませえええぇい!」
なんて丁寧な言葉を言われても
もはや聞こえてないふりするのが精一杯…
そんな訳で…
九谷焼は今回無かったことになりました…
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
おおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~い!
しかし!ひとつだけ言える事は
何気もなく入った公衆トイレの一輪挿し
ふと手に取って裏底をチラ見すると
案の定そこには
赤い色で「九谷」の二文字がありました…
「こ、こんなところまで…」
つまり…
今までの話を全て纏めて2で割りますと
例えお土産を買わなくても
最悪そういう所で手に入れることが可能…
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
いやいやいやいや!完全に窃盗罪ですぞ!
泥棒は20歳から…
チ~ン…
という訳でそろそろ今日のブログですが…
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
おおぉ~い!何だったんだ今までのはぁ!
話は変わりますが…
道沿いに「津波倉集落跡」の標が御座い…
明治二十七年全戸離村…
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
なんだか悲し気な歴史があった様でして…
と以前ならチラ見で終了…
しかしもう一度集落の名を見てみますと
「津波倉…」
それは2つに分けると「津波」と「倉」…
それがどうしたこの薄汚ねぇクソ野郎と
お思いでしょうが
このブログを読んで下さっている
数少ない奇特で物好きで暇人な皆様方は
「地名が語る災害の歴史」というものを
御存知でしょうか…
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ぶっちゃけ長くなるので
ググって頂けると幸いどえぇぇぇぇ~す!
さて、話はシリアス…
まずは「倉」の由来につきまして
本日は東京大学名誉教授の
地名 探作さんにお越し頂いております…
「先生、どうぞ宜しくお願い致します…」
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
来るわけねぇだろ!誰だよ地名探作って!
そんな訳で
無駄に長々と時間を使ってはおりますが
そもそも「クラ」とは
地滑りや崖崩れという
自然災害の跡地に付けられてる事が多い…
らしい…
例えば近年での「倉」の代表格と言えば
もはやシャレオツで知られる「鎌倉」…
皆様の中には
いやいやソレガシ「キャバ倉」派にて候!
という方々もおられる事とは思いますが
当ブログは御存知青少年向け!
その話は別の機会にこっそりという事で…
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
そろそろ話を進めて貰っていいですかね…
さて…
度々邪魔が入りなかなか進みませんけど
先ほど話に出た「鎌倉」は
実は自然災害の度重なる歴史がある所で
いい国作った鎌倉幕府の当時
その内の百年の間に
10回もの大災害に襲われたと記録にある…
被害は甚大で
無傷の建物が無かった時期さえあるほど…
それが「クラ」と呼ばれる所以らしい…
話を戻し「津波倉集落」…
この地名の前記した「クラ…」に加えて
更に「津波」が冠となっている…
当地は恐らく海岸線から5kmほどの内陸…
古い時代の記録を見ると
この辺りまで津波が到達したと臭わせる
記述は散見
なにしろ途中に波を遮るものが何も無い…
まさに記憶にまだ新しい震災を思わせる…
さて…
そろそろ話に飽きてきたと想いますので
無理やり結論!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
嫌な話だとは想いますが
震災で深刻な被害を出した福島第一原発…
しかし実は
福島第二原発のある地域の方が
歴史的に大きな被害を受け続けてきたと
いう話がある…
周辺には他の東北沿岸部と同様に
その惨状を留める古い地名が点々在々し
特に第二原発がある所在地は「波倉」…
それは「津波倉」集落の名と良く似ている…
追伸…
静かにさり気なく福井に突入致しました…
石川の皆様
心よりお世話になりましたぁぁぁぁぁ~!
只今猛烈に涙が流れております!
