Wind Letter

移りゆく季節の花の姿を
私の思いを
言葉でつづりお届けします。
そっとあなたの心に添えてください。

~私の72候~ 今年の紫陽花

2017-07-04 16:47:07 | ~詩でつづる私の七二候~


~私の72候~  芒種 末候 梅子黄(うめのみきなり)
(新暦6月16日~6月20日)













四十雀(しじゅうから)が梅雨を運んできたようにさえずっています

庭の紫陽花は雨にぬれて

誰かにことづてを伝えるように

いっぱい いっぱい咲いています


今日の紫陽花は私の機嫌をくすぐり

私の物語をつなぎあわせ

とっておきのショパンを聞かせてくれます


花びらを一枚とって

遠い人を思い出していると

カタツムリが

ぬれた紫陽花の葉にレールを引いていきました

ふとあの日の匂いが

あの日の風が

のみ込んだあの日の思い出が蘇ります


色づいた梅の実がポトンと落ちて

私の残された時間を知らせています

紫陽花は雨の滴を静かにはらい

雨にぬれた梅の実は

梅雨に顔をこづかれたように熟れています


梅雨に咲く紫陽花

優しい時間を見ているはずなのに

今年は哀しく思われるのは

あいたい思い出が増えてしまったからでしょうか


四十雀がまた鳴いて

こみあげてくる私の感傷は

紫陽花色に染まってゆきました






 梅雨に季節になり紫陽花の花が美しく咲いています。

我が家の庭も真っ盛りです。家の中の。仏壇や床の間

や各部屋に紫陽花を飾り何か思い出が一度に溢れて来

るような優しい時間を感じています。

朝になるとシジュウカラやホトトギスやスズメの鳴き

声が聞こえてきて心がなごみます。夫が鳥の巣箱をつ

くりました。巣箱には「空き家、賃貸料無料、小鳥さ

んどうぞ」と書いて紅葉の木にとりつけましたが、

どうして、どうして巣箱は今も空き家です。

先日、千葉市立美術館で歿後60年 椿貞雄の絵画展を

見てきました。椿は麗子像で有名な岸田劉生に師事し

た画家です。椿の絵は岸田劉生に似ている作品が多い

と感じましたが後半になって描かれた子供や、孫や、

冬瓜(とうがん)の絵には麗子像とは違った日常の温

かさと穏やかさがありました。椿が到着した独自の世

界は私を幸せな思いにしてくれました。現実の日常と

は確かに厄介なところもありますが生きるとは、そう

いうことなのでしょう。ですからなおの事、椿貞夫の

描いた絵にはここち良さを感じました。そして、おそ

らく、この画家自身が表現するうえでも、また人とし

ても幸せだったのではないかと思えたのです。


 お知らせですが2002年11月 夫 高安義郎が出版し

た詩集「母の庭」が

2017年6月韓国の詩人で翻訳家「イムナヒョン」さん

によって翻訳され出版されました。

感謝したいと思います。
              
 (2017.7.4)

  
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~私の72候~  立夏 末候  竹笋生ず(たけのこしょうず)

2017-05-22 20:56:11 | ~詩でつづる私の七二候~









筍流しの風が吹くころは

雨の気配を含んだ南風が吹くという

風を伴った夜更けの雨は

竹林の筍を育てる音でした


夏の前触れを運ぶ

安堵感のある雨音は

私に懐かしさをさしかけてきます

ふと 筍の淡竹(はちく)が

好物であった義母が思い出されます


ぐんぐん育つ筍のように

ぐんぐん大人にはなれなかったけれど

義母の思い出の一つをすばやく食し

あの時の暦をゆっくり広げてみたいのです


足を止め義母に話したい憂いがあるけれど

筍流しの風に吹かれていると

宛先不明の優しい手紙を

私は書いてみたくなるのです


みやると

町を囲む半円のような低い山々には

常緑樹の葉が生まれ変わっています

その色彩のグラデーションは

何故か生きているうれしさで迫ってきます


月見草が咲き

次にショウマが咲き

何事も閉じ込められないまま時は流れています

竹林は今年の生命を抱えてしなやかに波打っています







 4月の終わりに東北地方の美術館を訪れた。

青森美術館、三内丸山遺跡、棟方志功記念館、岩手美術館

が主なルートであった。青森出身の作家太宰治が津軽の

旅行は5・6月に限る。梅、桃、桜、リンゴが一度に花が

咲くと書いていたが、まさしく東北は花ざかりであった。

水仙をはじめ、桜そして、こぶし、白蓮、梅、しだれ桜が

咲いていた。初めて知った名前だが山中には、匂いこぶし

が咲いていた。東北の春は一斉にやってくることを知らさ

れた。しかし、はるかに見える山、岩手山、八甲田山は雪

が白く頂きに残っていた。自然の風景からも東北の深さを

見る思いであった。

美術館のひとつで見た棟方志功の板画には驚かされ感動し

た。青森のねぶた祭りの影響で独自の世界を創りだした

作品群であった。ねじった和紙を鉢巻のように頭にまいて

青森の歌を歌いながら板画を楽しそうに彫っているビデオ

を記念館で見た時、東北の土や空や人々そして、生活が、

棟方志功の作品のエネルギーになっていると思われた。

やはり青森にあってこそと思える棟方志功の作品群で

あった。

東北は歴史の中でも中央から攻められたり、飢饉に見舞

われたり、また今回の東北地震の被害で多くの方が亡く

なられた。その悲しさを私が安い言葉で語ることはでき

ないが東北人の思いの一つの答えが棟方志功の作品だと

思えた。東北の歴史の重さを考えた時私は言葉を発する

ことはできなかった。車中から見える水仙の花はいたる

ところで東北の力のように咲いて、その鮮やかさは胸に

迫るものがあった。(2017.5.19)

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~私の72候~    13年年目の春  啓蟄 次候 桃初笑(ももはじめてさく)

2017-03-26 14:25:12 | ~詩でつづる私の七二候~

  





  君がすくすく育つように

  祈りをこめて植えたほうき桃が

  寒い陽ざしに背伸びして

  白い蕾たちが揺れています

  もう少し待って もう少し待ってと

  卒業する君への賛歌を準備して

  私の心をくすぐります


  遅々とやってくる春の匂いは

  邪気を払う桃の蕾をつつんでいます
 

  元気にそだった君に

  桃たちは ほほほと笑うのでしょう

  笑って 笑って花たちは

  君の誕生日に

  生まれるうれしさを山盛りにして

  手渡して咲くのでしょう


  いつか荒れた風や波が

  君の体を揺するでしょうが

  空の青さを心の秤(はかり)にして

  ほうき桃の 

  まっすぐ生きる音を聴いてほしいのです


  遠くの木枝で囀(さえ)ずるシジュウカラを横目に

  ほうき桃はよんよんと

  青空をめがけて揺れています


  13年目の君の春の眩しさは

  やさしい息吹となって

  70を越えた私の哀しさに届いています







 88歳の叔父から手紙が届いた。私が成人してから尋ねること
が多かった叔父である。かなりの読書家で、叔父の家には蔵書
がたくさんあった。それを借りて読むことが私の楽しみになり、
私が文学に興味を持ったのもこの叔父の影響だったと思える。
 88歳になった現在は昔読んだ本をもう一回読みなおしている
との便りであった。
しかも司馬遼太郎の作品は地図を広げ確認しながら読んで
いると記されていた。
何歳になっても見届けようとする精神のたくましさに私は
とても驚いた。齢を重ねると体も思うようにいかなくなり、
心もなえ、興味が薄れていくだろうが、叔父の生きる日々
の姿勢を文面から感じられ励まされた思いになった。

そして、私の前を歩いている叔父がいることに何処か生き
ることへの安心感を持たせてくれる味わいのある手紙で
あった。
手紙の暖かさを久しぶりに味わった気持である。
今年の鶯の鳴き声を成田の長男の家で聞いた。
練習用の鳴き声でなく、それは それは見事な
鳴き声であった。春の訪れの近さを感じさせて
くれた。

諸葛菜が咲き貝母(バイモ)が咲き、木瓜が
色づき始め、春が待ち遠しいです。

              (2017.3,22.)



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2017-01-13 16:23:47 | ~詩でつづる私の七二候~
~シリーズ詩でつづる 私の72候~ 

小寒 初候 芹野栄(せり すなわち さかう)

 
高安ミツ子  
                             


  せり なずな ごぎょう

  はこべら ほとけのざ すずな すずしろ

  口ずさみながら

  とんとん刻みます


  自然の恵みありがとう

  とんとん今年の祈りをこめて

  くるくる七草粥を作ります

  粥はしゅんしゅんやさしく体を包みます


  もう一声かけないと

  春はやってこないけど

  やさしい粥は

  二人の春待ち顔に寄り添って

  たくさんの思い出連れてきます


  家のどこかに潜んでいたように

  お義父さん お義母さん おじさん おばさん

  子供たち

  みんな みんな おかえりなさい

  思い出話は近くなったり遠くなったり

  七草粥に溶け込んでいきます


  懐かしい時がゆらゆら揺れて

  冬の陽ざしはみかんを照らしています

  しんしん

  二人だけの七草粥



Mitsuko's Room

 あけましておめでとうございます。
穏やかなお正月を迎えました。例年通りおせち料理を作りました。
結婚して義母に教わったものです。東金の代表のおせち料理には
「かいそう」と言って海藻を溶かし、それを羊羹流しにいれ、
固めたものをさいころの形に切り海苔や鰹節、はばをかけ、
醤油を付けて食べます。
 わが家では銅鍋で海藻を溶かします。すると化学変化を起こし,
海藻が緑色になりとても美しいおせちになります。
もう一つにはごまめ(田作り)と称し義母の得意料理でした。
普通はごまめを、からいりしてから醤油と砂糖でからめますが、
我が家ではそのあと白砂糖をまぶしお菓子のようにします。
とても美味しく食べられ後を引きます。夫はこの料理がないと
お正月とは思えないようです。子供や孫も少しは食べます。
我が家のお正月の味を作れるのは元気なあかしであり、
うれしいことです。それぞれの家の味がありそれぞれの家の
言葉があることは味わい深いものを感じます。
それをある人は方言と言っていました。苦痛が伴わないもの
であるのなら家の文化、すなわち方言があっていいのでは
ないかと思えるのです。
義父母が他界し何年もたちましたがおせち料理を作るたびに
義父母のことが思い出されます。お正月になると、義父母
から託された生きる喜びと子供や孫に命を託す喜びを感じ
ます。70歳を超えた所以でしょうか。
今年も感動に出会える時を少しでも味わいたいと願っています。
皆様のお幸せを心から祈ります。

  (2017.1.13)
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~シリーズ詩でつづる 私の72候~  初候 虹蔵不見  「今日の恋文」

2016-12-24 22:12:41 | ~詩でつづる私の七二候~
~シリーズ詩でつづる 私の72候~ 
初候 虹蔵不見

                 

                        高安ミツ子  





                             


   メジロが山茶花の葉蔭を飛び交い

    皇帝ダリアは風に揺れ

    花弁は澄んだ空に貼り絵のように

   冬空に咲いています


   紅葉した梢に

   赤いほっぺの少女が見えました

   幼い頃の私でしょうか


    人生の悲哀をこえた私に

    少女は微笑んでいます

   それは

   今の私の微笑みでしょうか


    見上げると子供のころと同じ

   奥の奥まで青い冬空

   遠い時間が幻のように思えるほど
                        
   初冬の光は

   日暮れを急がせています


    ふと空のどこからか

   私は呼ばれた思いにかられ

   見やると

   色づいたみかんが

    あなたと歩む これからの野の道を示しています

   あのときの虹が あのときの雨が谺になって

   最期の岬に向かう私達を包んでいます


   読まなかった本のページを繰るように

    あなたの釦をなぞってみると

   共に戦った人生の夕暮れを感じます

    ふと淋しさよりも強く

   愛おしい想いがわきあがり

   何故か恋文を書きたくなるのです

   山茶花が静かに初冬を染めています

   あなたへの恋文を

    私は今日のポストに入れました





    ★★★★★★★ Mitsuko's Room ★★★★★★★

    今年も残り少なくなりました。我が家の庭にも
   目の周りが白色のメジロや体の大きなヒヨドリの
   姿を見られるようになり冬の到来を感じています。
   ヒヨドリは飛び方が早く餌台に餌があるとまわり
   を見まわして、用心はするものの身のこなしは素
   早く餌台に行き柿やリンゴをついばんでいます。
   私は秘かにその様子を窓越しで見ることは至福の
   時間です。特にメジロは椿の花びらに止まり蜜を
   吸うのですが常に用心し、枝々を飛び交う様は可
   愛いものです。
    先日お正月に飾ろうと思っていた千両が赤と黄
   色の実を色鮮やかに付けているのを見つけました。
   あと、2・3日したら枝を切ろうと思っていました。
   ところが今日の朝見ると見事に鳥たちに食べられ
   ていました。幻の千両になっていました。
   がっかりするもこんな木蔭の中にある千両の実を
   良く発見できると思いました。夫が言うには実
   が熟した時に発するものを鳥が感知する能力が
   あるのではないかというのです。
   なくなった千両は、我が家の庭に来る鳥を私が
   眺める見物代とすることにしました。皇帝ダリ
   アも一晩の寒さで全て霜枯れてしまい、紅葉も
   裸木になり冬空に枝だけがくっきりと広がって
   冬の季節を知らせています。
   我が家の庭の草花を眺めていると、いちはやく
   四季を感じます。日々の生活の中で季節ごとに
   咲く花の命に出会うことは小さな幸せに出会え
   ることで、私にとって心の豊かさを感じさせて
   くれます。ふと、この思いはボストン郊外で花
   をめでたターシャの庭に繋がっているように思
   えるのです。
   1年の季節を72候に分けた暦があります。
   それにちなんで~私の72候~と題し来年も詩を
   書いてゆこうと思っています。
   良い御年をお迎えください。
           【2016.12.24】
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