~シリーズ詩でつづる 私の72候~
霜降 初候
十三夜の月 高安ミツ子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/14/5957d02973afc626d33a9878a0ba4568.jpg)
秋の夕焼けが空をはがすように
茜色に染めたとき
つるべ落としの速さで
あなたの日常の流れは変わりました
あなたは弱く震えて
傘を傾ける人もないまま
都会へと去って行きました
秋雨が降るたびに
都会の時間にぽつねんと
漂っていやしまいか
あなたの哀しみを案じています
今宵は十三夜の月
でこぼこの私の心を撫でまわしながら
あなたが住んだ町を照らしています
そして
秋の庭には
野菊があなたの面影のように咲いています
繊細なあなたともう一度
秋の花を数えてみたいです
ひとつ ふたつ みっつ・・・・
おずおずとしたあなたの声が
花影から聞こえるような気がします
生きていく重さをはかるように
あなたは十三夜の月を見上げているでしょうか
月明かりの下
だんだん日常のページが臆病になっていく私にも
遠い日の風がすすきを揺らし
私の心を秋色に染めています
★★★★★★★ Mitsuko's Room ★★★★★★★
店頭に柿が鮮やかに並ぶ季節になりました。街並みの中にも色づいた柿の木が少し見えます。
今は姿の良い柿が店頭に並んでいますが私が子供のころは、片手に入るくらいの大きさの柿が
ありました。犀川の霧にまかれた柿は味が良いといわれていました。
子供たちは木に登り甘い柿を探します。枝から枝へ苦もなく渡る木登り名人はまさしくサルの
ようでした。木の上でかじった柿が渋い時は、口中がゆがむくらいになり、ペッペッと吐き出し
、怒りを込めて、渋い柿を木の上から投げつけるのでした。それは自分の眼鏡にかなわなかった
苛立ちも込めていたのでしょう。当時の子供たちの間ではゴマが入った柿が甘いと称し色の鮮やか
な柿を少しかじっては品定めをしていました。 私は木登りができず、まさしく猿蟹合戦の蟹状態
でした。故郷にはこの種類の柿はもうないのかもしれません。今は渋い味を知らない人が多いので
はないでしょうか。時代とともに、洗練された味だけが残されてしまったような気がします。
柿によっては1つの柿でも半分甘く半分渋いものもあり、食べた時、口の中はせめぎ合いの状態に
なることもありました。
柿の季節のなると思いだす好きな句があります。小林一茶の句で
「渋いところ 母が食いけり 山の柿」
母親が柿の甘いところを子供へ食べさせようとする情愛が感じられ、深まる秋に心温まる思いに
なります。親の縁が薄かった一茶の郷愁ある作品なのでしょうか。
嫁ぎ先の義母が私の子供の好きな食べ物を渡す時いつも「甘きは吐きて子に与え」と言っていまし
た。子供達はその言葉を覚え食べたい時「甘きは吐きて子に与えでしょ」と言ってねだったもので
す。一茶の思いと似た義母の言葉が懐かしく思い出されます。
我が家の庭は秋明菊・冬コスモス・紫式部・ホトトギス・ダリア・のぼたんが咲き秋の色に包まれています。
(2016.10.31)
霜降 初候
十三夜の月 高安ミツ子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/14/5957d02973afc626d33a9878a0ba4568.jpg)
秋の夕焼けが空をはがすように
茜色に染めたとき
つるべ落としの速さで
あなたの日常の流れは変わりました
あなたは弱く震えて
傘を傾ける人もないまま
都会へと去って行きました
秋雨が降るたびに
都会の時間にぽつねんと
漂っていやしまいか
あなたの哀しみを案じています
今宵は十三夜の月
でこぼこの私の心を撫でまわしながら
あなたが住んだ町を照らしています
そして
秋の庭には
野菊があなたの面影のように咲いています
繊細なあなたともう一度
秋の花を数えてみたいです
ひとつ ふたつ みっつ・・・・
おずおずとしたあなたの声が
花影から聞こえるような気がします
生きていく重さをはかるように
あなたは十三夜の月を見上げているでしょうか
月明かりの下
だんだん日常のページが臆病になっていく私にも
遠い日の風がすすきを揺らし
私の心を秋色に染めています
★★★★★★★ Mitsuko's Room ★★★★★★★
店頭に柿が鮮やかに並ぶ季節になりました。街並みの中にも色づいた柿の木が少し見えます。
今は姿の良い柿が店頭に並んでいますが私が子供のころは、片手に入るくらいの大きさの柿が
ありました。犀川の霧にまかれた柿は味が良いといわれていました。
子供たちは木に登り甘い柿を探します。枝から枝へ苦もなく渡る木登り名人はまさしくサルの
ようでした。木の上でかじった柿が渋い時は、口中がゆがむくらいになり、ペッペッと吐き出し
、怒りを込めて、渋い柿を木の上から投げつけるのでした。それは自分の眼鏡にかなわなかった
苛立ちも込めていたのでしょう。当時の子供たちの間ではゴマが入った柿が甘いと称し色の鮮やか
な柿を少しかじっては品定めをしていました。 私は木登りができず、まさしく猿蟹合戦の蟹状態
でした。故郷にはこの種類の柿はもうないのかもしれません。今は渋い味を知らない人が多いので
はないでしょうか。時代とともに、洗練された味だけが残されてしまったような気がします。
柿によっては1つの柿でも半分甘く半分渋いものもあり、食べた時、口の中はせめぎ合いの状態に
なることもありました。
柿の季節のなると思いだす好きな句があります。小林一茶の句で
「渋いところ 母が食いけり 山の柿」
母親が柿の甘いところを子供へ食べさせようとする情愛が感じられ、深まる秋に心温まる思いに
なります。親の縁が薄かった一茶の郷愁ある作品なのでしょうか。
嫁ぎ先の義母が私の子供の好きな食べ物を渡す時いつも「甘きは吐きて子に与え」と言っていまし
た。子供達はその言葉を覚え食べたい時「甘きは吐きて子に与えでしょ」と言ってねだったもので
す。一茶の思いと似た義母の言葉が懐かしく思い出されます。
我が家の庭は秋明菊・冬コスモス・紫式部・ホトトギス・ダリア・のぼたんが咲き秋の色に包まれています。
(2016.10.31)