酔いたい年頃

2020-01-24 23:53:34 | 日記
今日も仕事のノルマをこなして、あっという間にこの時間になりました。

休日の予定は家人と確認済み。

さて、残った時間をどう過ごそうか。

来週の仕事のための、下ごしらえをしておこうか。

読みかけの本を読もうか。

やりかけのまま止まっている事をかたずけてしまおうか。

考えていると、ふと声が聞こえたような気がました。


「それを作れば過労になる」


それを聞いて、「フィールドオブドリームス」という映画を思い出しました。

「それを作れば彼はくる」という神の声を聴いた主人公が、所有のとうもろこし畑を刈って野球場を作ると、そこに夢半ばで去っていった野球選手が帰ってくるという話。

その選手に混じって、今は亡き主人公の父親が、野球選手を夢見た若い頃の姿のままいるんですよね。

最後は若い頃の父親と主人公が、キャッチボールしているところで終わるんだけど。

これが当時は泣けて泣けてたまらない。

ところがこの映画を観ても泣けないという奴がいまして、そいつが言うには、主人公が身勝手でゆるせん!ということなんです。

僕は「フィールドオブドリームス」を観たら世界中の人が泣くと思ってましたから、泣けない奴がいることに驚きました。

しかし同時にちょっと醒めました。

だいたい泣けて泣けてたまらなかった僕は、いったい何に対して泣いていたのかよくわからない。

僕の父とのキャッチボールの思い出は、父の投げたボールを顔面に食らってそこで終わってるしね。

だから泣けてくるのかなあ。

同じように泣けてる奴がいて、サウンドトラックをカセットテープに録音してくれたりしましたよ。

まあ、不思議な映画と片付けてもいいのですが。

映画に酔いたい年頃だったのかしらねえ~。

それからちょっと恥ずかしくて、もう一度観ようと思わなくなっちゃった。






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崖っぷち信仰

2020-01-24 00:16:18 | 日記
何時からだろうか。

自分が崖っぷちに立っている絵が、頭に浮かぶようになった。

想像の中で、チラッと崖の下を見ることがあるけれど、恐いからあまり見ないようにしている。

この現実ではない恐怖は、現実におこりうる恐怖から自分を守るために役立つ。

いかにも気の小さな男が思い着きそうな方法だ。

崖っぷちに立つ恐さに比べれば、大抵のことは恐くない。

それに慣れてしまえば、危機的な状況にも鈍感でいられる。

なにしろ自分は、いつも崖っぷちなのだから。

それはある種の信仰みたいなものかもしれない。

崖っぷち信仰とでもいうのだろうか。

繰り返しイメージするうちに、ありもしない恐怖の方が見の前の恐怖よりも自分にとってはリアルに思えてしまうぐらいに、感覚が麻痺してしまったのではないだろうか。

「ぼくはいつも崖っぷちなんだから、あなたの恐怖なんてたいしたことないよ」

と、ぼくはまだ誰にも言ったことはないと思うけど、もしかするとそういう態度で生きているのではないだろうか。


それって、ただの妄想じゃないか?。














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