信者というのは、教祖の予言がいつか必ず成就するものだと思うものではないだろうか。
予言が成就する日に備えて、真夏の照り付ける太陽の下でもビラ配りや声かけをやって、一人でも多くの人に教祖の思いを届けようとするものではないだろうか。
PCR検査して陽性者を隔離しろと言ってる人々も、去年の夏は児玉龍彦の予言に心が奮い立っただろう。
しかし夏が過ぎても教祖の予言は成就しない。
信者たちは風邪が流行る冬に賭けたかもしれない。
新型コロナの恐怖を煽る放火魔たちはどうだろう。
煽っても煽っても東京はミラノやニューヨークのような、感染の火だるま地獄にはなかなかならない。
風邪の季節になって東京が火だるまになったと思ったら、だんだんと下火になってゆく。
教祖の予言の成就や感染の火だるまになることを信じ続けてきたが、気づけば倒産や失業や自殺者がどんどん増えている。
予言はハズレたと言われ、恐怖を煽った責任を問われている。
信者や放火魔の欲求は叶えられず、溜まった不満は政府へと向けられる。
今、森喜朗会長が火だるまになっている。