近くの映画館で「ピアノ・レッスン」を観た。1993年製作、121分、オーストラリア・ニュージーランド・フランス合作、監督ジェーン・カンピオン、原題:The Piano。シニア料金1,300円、10人くらい入っていたか、ピアノとあるので興味を持った。1993年度第46回カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた。随分前の映画が何で今、と思ったら本年3月に4Kデジタルリマスター版ができたのでリバイバル上映していると言うことだった。
19世紀半ば。エイダ(ホリー・ハンター、1958、米、この映画でアカデミー主演女優賞)はニュージーランド入植者のスチュアート(サム・ニール、1947、英)に嫁ぐため、娘フローラ(アンナ・パキン、1982、加、この映画でアカデミー助演女優賞)と1台のピアノとともにスコットランドからニュージーランドにやって来る。口のきけない彼女にとって自分の感情を表現できるピアノは大切なものだったが、スチュアートは重いピアノを浜辺に置き去りにし、粗野な地主ベインズ(ハーベイ・カイテル、1939、米)の土地と交換してしまう。エイダに興味を抱いたベインズは、自分に演奏を教えるならピアノを返すと彼女に提案。仕方なく受け入れるエイダだったが、レッスンを重ねるうちに・・・・
このドラマはエイダと夫のスチュアート、地主のベインズの3角関係を描いたものだが、その中でエイダの好むピアノが絡んでくるもの。
観た直後の感想は、1回観ただけではよくわからない点が多かった、結末も何となくすっきりしなかった、というもの。結末については、何もこれではダメだ、という意味ではないが。
そのよくわからない点なども含めて感想を書いてみたい(一部ネタバレあり)
- エイダは6才の時になぜか喋らなくなった、ピアノと手話で自分を表現するようになる、ピアノが彼女の魂になる、そして成人すると親が縁談を持ってきた、喋らなくてもよいと言う男性だ、それでその男がいるニュージーランドに渡った、と思っていたが、その後の渡航シーンで小さい娘を連れているので話がわからなくなった、これから結婚するのになぜもう娘がいるのか
- 娘が話すには、パパとママと3人で森の中に行った時に雷が落ちて、パパは死んだ、ママはその時から喋らなくなった、ここでストーリーがわかりにくくなった
- エイダが自分のピアノを得たベインズにピアノ・レッスンをしていくうちに、段々と惹かれていく、それがなぜか、と言うのがわからなかった、夫のスチュアートに不満があるようにも思えなかったのに、それとも自分の命とも言える存在のピアノを海岸に置き去りにしてベインズの土地と交換したことが決定的な理由となったということなのか、よくわからなかった、ピアノが彼女の魂と言うところを強調する何かがもっと欲しかったと思うが
- エイダがベインズにピアノ・レッスンをして、何かカウントしてそれが10に達したらピアノを返してくれる、と言うような約束をしたのか、よくわからないが、10になったら体を求められて許す、というのが何かいきなり話が飛躍しているような気がした
- 最後にスチュアートと別れてベインズと船出するとき、ピアノを運ぶのは無理だと船こぎたちから強く言われたけど、結局積み込んだ、そして船上で積み込んだピアノをそのピアノを船に縛り付けていた縄ごと海に捨て、自分もその縄に足をわざと絡めて海に沈んでピアノと一緒に死のうとする、これが結末か、と唖然として観ていると、海中で自ら足に絡みついた縄をほどき、海面に出て助けられる、なぜ魂のピアノを捨てる気になったのか、1回死のうとしたのになぜ気が変ったのか、わからなかった
- エイダは映画中で実際にピアノを弾いていたようにみえたが、ホリー・ハンターは簡単なピアノなら弾けたのか、それとも実際に弾いているように見せる撮影のうまさか
- エンドロールを観ていたらヘアーメイクに日本人と思われるワタナベ・ノリコという名前が出てきた、調べてみると、彼女(渡辺典子)は、東京からアメリカ合衆国に移住したハリウッド映画で活躍するヘアスタイリスト兼メイクアップアーティスト、これまでにスタイリングしたハリウッドスターは、ニコール・キッドマン、ケイト・ウィンスレット、ベネディクト・カンバーバッチなど、大物俳優が名を連ねている、映画俳優だったサム・ニールの再婚相手となった後、ニュージーランドのクイーンズタウンに移り住んでいるがサム・ニールとは今は別居又は離婚しているらしい、エンドロールを観るのは退屈だからいつも日本人がいないかだけ注意してみているが、意外な発見があるものだ、古い映画でも結構日本人が出ている
1回観ただけでは全部はわからなかった、観賞後、映画レビューに書かれているストーリーの解説を読んで、そうなのか、と理解できたところはあるが、このブログでは鑑賞直後の状況で書いてある。
主人公のエイダは結局、映画の中では1回も話をしないめずらしい役だ、しかし、演技で観客を唸らせなければいけないのは大変だろう、つい最近、「ルサルカ」というオペラを観たが、これも主人公のルサルカが途中からしゃべれなくなる設定だ、歌手なのに歌なしで演技するというのは映画と同様大変なことだが、立て続けにそのようなケースにぶつかった偶然に驚いた