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三島由紀夫「文化防衛論」を読む(1/3)

2024年05月01日 | 読書

三島由紀夫著の文庫本「文化防衛論」(ちくま文庫)を読んだ。三島(1925-1970、本名平岡公威)の小説は「金閣寺」や「仮面の告白」、「サド侯爵夫人」、「春の雪」などしか読んでないが、昨年、猪瀬直樹氏の書いた「ペルソナ」を読んだ(その時のブログはこちら)、この本は平岡家三代の物語で大変面白かった。最近も「三島由紀夫論」という本が出ており、依然として注目すべき作家となっているようだ。

今回は小説ではないが、偶然見つけた面白そうなタイトルの本だから読んでみた。その中で特に感心を持ったところを記載してコメントしてみたい。よって、これは本書の要約ではない

反革命宣言

  • われわれは共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企図、あらゆる行動に反対するものである
  • われわれは護るべき日本の文化・歴史・伝統の保持者であり、代表者であり、かつその精華であることを以て自ら任ずる、よりよき未来社会を暗示するあらゆる思想とわれわれは先鋭に対立する
  • 戦後の革命思想は、弱者の最低の情念と結びつき一定の政治目的へ振り向けた集団行動である、彼らは日本で一つでも疎外集団を見つけると、それに襲いかかり、それを革命に利用しようとするのである、例えば原爆被害者を自分たちの権力闘争に利用した
  • 政府にすら期待してはならない、彼らは最後には民衆に阿諛するからである

コメント
共産主義や革命思想の欺瞞は指摘の通りである、左派は弱者、少数者、被害者などに寄り添う姿勢を見せながら、それらの人たちを政治的主張のために利用している、よって利用価値の無い被害者などはほとんど取り上げないのは今も同じでしょう
ただ、政府にも期待せずに自分たち少数で日本の文化・歴史・伝統を守ろう、と何か自分たちで行動を起こそうとしている(現に最後に起こした)、その行動の中身が問われる。また、よりよき未来を否定するという考えもよく理解できない

文化防衛論

  • 若い人たちと話した際、非武装平和を主張するその一人が、日本は非武装平和に徹して、侵入する外敵に対しては一切抵抗せずに皆殺しになってもよく、それによって世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのを聞いて、これがそのまま、戦時中の一億総玉砕思想に直結することに興味を抱いた、戦時中の現象は、あたかも陰画と陽画のように、戦後思想へ伝承されている
    コメント
    その通りでしょう、戦前は極端な強硬論、戦後は極端な消極論(平和論)、ブレが大きく思い込みが激しい日本人や日本の言論空間。どちらも国を危うくする発想だと思う。常に多様な見方に接し、頭の体操をする癖をつけないと日本は再び危険な状況を迎えるでしょう
  • 文化とは、例えば源氏物語から現代小説まで、禅から軍隊の作法まで、すべて「菊と刀」の双方を包摂する。現代では「菊と刀」の「刀」が絶たれた結果、日本文化の得失の一つである、際限もないエモーショナルなだらしなさが現れており、戦時中は「菊」が絶たれた結果、別の方向に欺瞞と偽善が生じたのであった(p48)
    コメント
    その通りでしょう、その意味で現代の日本は戦前と同様に非常に危険な状況にあると言えるでしょう、新聞や学者は軍事を極端に忌避する、この「刀」を敵視するが如き極端な発想が危険である。また、理性や合理的・科学的判断に訴えるのではなく、情緒的感情(エモーショナル)に訴える、これも大変危険である。「安全だが安心できない」とか、「唯一の被爆国」とか、情緒的な主張は国際社会では説得力が無いでしょう、最近の福島原発処理水の海洋放出は科学的主張が国際社会を説得した一つの好例であろう

(続く)