(承前)
占領期のRAA(特殊慰安施設協会)の広告
ここは検閲に直接関係ないが、検閲官の募集広告の話に関連して、こんなものまで募集していたと言う脈絡で出てくる話だ。
- 占領期の経済的な困窮の中で新聞社を潤わせたのはアメリカンクラブによる検閲官募集の新聞広告であった。終戦直後の新聞の最大の広告主であった。アメリカンクラブはCCDその他の機関への就職斡旋機関であった。
- ところが占領期の一時期、この広告欄を席巻したのがRAAだ。RAAは占領軍兵士にセックスや娯楽を提供する業者だ。敗戦から2週間もたたない8月から9月にかけて東京の有力紙にRAAの広告が出た。広告には50名募集、高給優遇、要語学力とあり、特殊慰安協会とあり怪しげだ。
- この怪しげな内容を説明する記事が8月30日の「朝日新聞」に出た。見出しは「進駐軍の慰安施設」だ。それによれば進駐軍はバー、カフェ、キャバレー、慰安所を設置するとある。この記事で一般読者も「慰安」の何かが理解できた。9月5日の「読売新聞」には「慰安娯楽施設どしどし許可」の見出しで、キャバレー等の営業許可申請が殺到していることを報じている。
- その後、より露骨な表現を使ったRAAキャバレー部の広告が「東京新聞」や「日本産業経済」に出る。広告では男女に「国策的事業」への「挺身」を求めている。更に「ダンサーを求む」では「経験の有無を問わず国策的事業に挺身せんとする大和撫子の奮起を望む」とある。
- 8月18日には内務省警保局長から「進駐軍特殊慰安施設について」という秘密無電が各庁、府県長官に発せられた。東京料理飲食業組合や、売春斡旋業者らが作った特殊慰安施設協会が警視庁に営業許可をおそるおそる求めたところ、「婦女子の安全をはかるため防波堤となるものが必要」と逆に営業を懇請されたという。つまり官民挙げて米軍からの日本の中流階級以上の婦女子を守るための「大和撫子」の慰安所が設立されたのである。
- ところが9月以降、こうした広告はぷっつりと出なくなった。パンパンという文字が浸透しだしたがそれが占領軍の検閲項目に引っかかり、また、こうした広告への批判が高まった、10月末には警視庁から広告掲載自粛せよとの打って変わった通達が出た。
- 慰安施設が米兵の性欲の捌け口の場になったのは間違いない、ビジネスとしても短期間で大成功を収めた。東京、横浜、大阪など、全国に業者が施設を乱立させた。ところが性病が米兵に蔓延し、半年も経たないうちにGHQから厳しく批判され、営業閉鎖命令が出た。
- RAAの広告は短期間で消えたといえ、別の形で継続した。アメリカン・クラブでも怪しげな広告が絶えなかった。
(コメント)
慰安婦強制連行報道(実は誤報)で日本軍を批判した新聞が敗戦直後に日本人慰安婦募集の広告を出していたとは・・・・いやはや。アメリカのダブルスタンダードも許せないが日本メディアの自分のことを棚に上げたダブルスタンダードぶりも許せない。
木下順二氏について
- CCDの名簿が公開されており、その中に検閲官であった日本人として「キノシタ・ジュンジ」の名前がある。英語資料なので日本語でどう書くのかはわからないが、著者はいろいろ調査し、根拠を示した上で、このキノシタ・ジュンジは、「夕鶴」で有名な劇作家で進歩的評論家の木下順二(2006年、92才没)であるとしている。
- 著者は、木下は進歩的文化人の代表格と言える人物で、その言論は日本の保守陣営や軍指導者への戦争責任追及には厳しいが、直接的なアメリカ批判が全く出てこないと指摘している。木下はCCD勤務を隠蔽したと思ってこの世を去った。
- もちろん、彼の検閲官としての行為は違法ではないが、それを恥じていたのではないか。戦後、日本権力批判をするとなれば、その権力と組んだアメリカへの批判につながるのが当然だが、アメリカ側から占領期の彼の行為を暴露されるのを恐れて沈黙したのではないかと推測している。
- 木下順二氏については昨年TVで観た演劇「リチャード3世」の感想を書いた投稿でも偶然取り上げていたので興味がある方は参照されたい(こちら)。
(コメント)
進歩的文化人としては不都合な事実であったのだろう。私はこれを非難しない、自分だったら同じことをしていたかもしれない。人は誰でも知られたくない過去はあるものだ。ただ、言論活動をしている人は過去が暴かれることは仕方ないであろう。
(続く)
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