ワインの注文のために試飲会に行ってきました。
もちろん足りるわけなく注文を終えてから場所を変えておしゃべりでした。
80歳になった友人は10月に救急車で病院へとのこと。
コニャックをしこたま飲んでお風呂に入ったら急性アルコール中毒で救急搬送されたそうです。
顔面蒼白で意識もなかったそうで、奥さんは(この夫婦とも友人)死ぬときは
こんな状態なんだろうと覚悟したそうです。
運転免許も次は書き換えをしないで返納するといっていたのも、こんなことが
あったからだと思う。
そしてきょうは墓じまいの話を聞かされた。
三浦にあった墓地を終わらせたという。
免許もなくなれば坂の多い墓地に墓参りに行くのも大変だし、子供たちも
長男は未婚、次男は女の子がいるがあの子だけなので墓守は望めない。
娘は私たちと同じぐらいの男性と結婚しており子供もいない。
そんなこと考えたら墓じまいをしておかなくてはということになったそうだ。
義父母の眠る墓でもあるが長男の友人には妹が二人いる。
連絡をしても何も返事がない妹と、1万円を送ってきただけで散骨儀式
にも来なかったもう一人の妹さん。
あまり家族の絆はないのかもと常々思っていた。
その渦中にいる友人も意外とあっさりしている。
私はそうはいっても・・・・・
というタイプです。
この間遺言状を作成しておりました。
明後日月曜日に横浜地方法務局の公証役場に提出するところまでできた。
爺が先にあの世に行ったとして、残された私がまだ何とか処理をできそう?
できると思うのです。
長生きしちゃって認知症が出てきてしまってから私が死んでしまってからでは
同居していない子供たちは手も足も出ないだろうと思う。
某信託銀行を遺言執行者と定めて契約をすすめた。
墓守は長男に託すことも織り込んだ。
私には散骨をする潔さは備わっていない。
先祖を敬い大事に祭っていきたい。と思っているのです。
3代から4代さかのぼったら誰だかわからなくなっちゃうんだからと
友人は言う。
私は違うと思うよ。
確かに祖母の親の世代の人はわからないけど、それは戦争があって戸籍の
改編があってと時代がそうさせてきたと思う。
ずっと心の中に生きていてほしいし生かしてほしいと思うのはエゴなのでしょうか?
考えさせられた一日でした。