帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの三十六人撰 遍照 (一)

2014-07-02 23:21:54 | 古典

     



                 帯とけの三十六人撰


 
 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。公任(きんとう)は、清少納言、紫式部、和泉式部、道長らと同時代の人で、詩歌の達人である。この藤原公任の歌論を無視した近世以来の学問的な解釈と解釈方法(序詞・縁語・掛詞などという概念を含む)を棚上げしておき、平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直すのである。公任が「およそ、歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」ということの重要さを認識することになるだろう。



 遍照 三首(一)


 すゑの露もとの雫や世の中の おくれ先立つためしなるらむ

 (葉の先の露、根元のしずくよ、世の中の、長命と早逝の事例であろうか・いづれにしてもはかない命……ものの果てでのおとこ白つゆ、てもとにこぼす零よ、果ての遅れと先立ちの事例だろうか・いづれにしてもむなしい色情)


 言の戯れと言の心

 「すゑ…ものの末…先端…時間的に先…果て」「露…命…はかなく消えるもの…おとこ白つゆ…おとこの果て」「もと…元…根元…手もと…時間的に初め」「雫…しづく…ほんの少し…したたり落ちるもの…こぼれ落ちるもの」「世の中…男と女の仲…夜の中」「おくれ…遅れ…取り残され…後発」「先立つ…早立ち…先発…先に逝く」「ためし…先例…前例…事例」「らむ…事実を推量の形で婉曲に述べる」

 


 遍照は、良少将と呼ばれていたころ、お仕えしていた仁明帝に遅れ奉り、世の中と男女の仲を捨てて、三十五歳で出家、修行して、僧正までになった人。この歌は古今集には載らないが、公任も俊成も、優れた歌とした。貫之は古今集仮名序で人麻呂、赤人に次いでとりあげた、「僧正遍照は、歌の様は得たれども、まこと少なし、例えば、絵に描けるをうなを見て、いたずらに心動かすがごとし」とある。歌の様子を知った今、この批評は、次のように聞くことができる。「僧正遍照の歌は、歌の表現様式は心得ているが、ほんとうに少ない、心におかしきところの色好みなところよ、例えば、絵に描いた若い女を見て、いたずらに心動かす程度である」。
 
 この歌は「心深き」ところがあるのだろう。「姿は清げ」である。色好みな「心におかしきところ」は少ない。

 

 『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。


 歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に訊ねた。公任は
清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で詩歌の達人である。優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。


 この言語観については、まず清少納言に学んだ、枕草子(第三段)に言語観を述べている。「同じ言なれども、聞き耳(によって意味の)異なるもの、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(われわれの用いる言葉の全てが多様な意味を持っている)」。


 藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。


帯とけの三十六人撰 業平 (三)

2014-07-02 00:13:37 | 古典

     



                 帯とけの三十六人撰


 四条大納言公任卿が自らの歌論に基づき、優れた歌人を三十六人選んで、その優れた歌を、それぞれ十首乃至三首撰んだ歌集である。公任(きんとう)は、清少納言、紫式部、和泉式部、道長らと同時代の人で、詩歌の達人である。この藤原公任の歌論を無視した近世以来の学問的な解釈と解釈方法(序詞・縁語・掛詞などという概念を含む)を棚上げしておき、平安時代の歌論と言語観に帰り、改めて学びながら、和歌を聞き直すのである。公任が「およそ、歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」ということの重要さを認識することになるだろう。



 業平 三首(三)


 今ぞしる苦しきものと人またむ 里をばかれずとふべかりけり

 (今、知ったよ、苦しいものだと、人を待つことが、女の家は離れぬ間隔で、訪れるべきだなあ・君もそれで来れないのか……今ぞ、汁、来る色物と男待っているだろう、さ門は涸れることなく、訪れるべきだ・餞別の宴よりその方が大事だなあ)


 言の戯れと言の心

「しる…知る…汁…潤む」「くるしきものと…苦しきものと…来る色物とともに…来る色情ある物と」「と…共に…一緒に」「かれず…離れず…間隔詰めて…涸れず…枯れず」

 


 古今和歌集 雑歌下に業平朝臣としてある。詞書は次の通りである。

紀利貞が、阿波介にまかりける時に、餞別せむとて、今日と言ひおくれりける時に、此処彼処にまかり歩きて、夜更くるまで見えざりければ、遣はしける」


 歌は、利貞の女の多さをからかっているのか、同情して弁護しているのかわからぬままに、宴席の男どもを笑わせる色好みな「心にをかしきところが」添えられてある。この場を和ませるのに相応しい歌である。

 

歌はただ、人待つ苦しさを詠んだのだろうか、ありふれたことを。業平はそんな歌を詠んで、夜の更けた酒の席で披露したりしない。そんな歌を公任は優れた歌として撰んだりしない。平安時代の人々の歌の聞き方は、今の学問的な歌の解釈とは、根本的に違っているのである。


 

『群書類従』和歌部「三十六人撰 四条大納言公任卿」を底本とした。ただし、歌の漢字表記と仮名表記は適宜換えてあり同じではない。



 以下は、平安時代の歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。


 紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。


 歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に訊ねた。公任は
清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で詩歌の達人である。優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。一つの歌に複数の意味があるのは、歌言葉は字義の他に、「戯れの意味」や「言の心」があるからである。


 この言語観については、まず清少納言に学んだ、枕草子(第三段)に言語観を述べている。「同じ言なれども、聞き耳(によって意味の)異なるもの、法師の言葉・男の言葉・女の言葉(われわれの用いる言葉の全てが多様な意味を持っている)」。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道にも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。


 貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
それを歌に詠めば、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であると俊成はいう。