■■■■■
帯とけの前十五番歌合
「前十五番歌合」は藤原公任が三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、合わせるのに相応しい歌を組み合わせて、十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。
公任の歌論によれば、優れた歌は深い心と清げな姿と、心におかしい情感が一つの言葉で表現されてある。歌の言葉は浮言綺語のように戯れて複数の意味を孕んでいるから、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事は可能である。紀貫之は歌言葉の複数の意味を「言の心」と言ったようである。それさえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるはずである。
前十五番歌合 公任卿撰
一番
紀貫之
桜ちる木のした風は寒からで 空に知られぬ雪ぞ降りける
(桜散る木の下風は寒くはなくて、空には、季節はずれの・未知の雪が降ったことよ……咲きて散る、男木の下枝の心風あつくて、むなしきそらに、承知されない白ゆきがふることよ)
言の戯れと言の心
「さくら…桜…木の花…男花」「木…言の心は男」「木の下…男の下…おとこ」「風…桜を散らす風…春風…もの散らす心風」「寒むからで…寒くなくて…暖かくて…熱くもえて」「そら…空…虚…天…あま…女」「知られぬ…知られていない…未知としか言えない」「ゆき…雪…逝き…おとこ白ゆき…おとこの情念…おとこの魂」
凡河内躬恒
我が宿の花見がてらに来る人は 散りなむ後ぞこひしかるべき
(我が宿の花見のついでに来る人は、散るだろう後に花を恋しがるだろう……わがやどの、おとこ花、見に繰る妻は、散るだろう後にだ、乞いしがるだろう)
言の戯れと言の心
「やど…宿…家…やと…屋門…女」「宿・屋・門…言の心は女」「花…梅・桜…木の花…言の心は男花」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「くる…来る…繰る…繰り返す」「人…人々…女…妻」「散り…散る…(花や葉が)散り落ちる…(人が帰り)離ればなれになる…(おとこ花)散る」「こひし…恋し…慕わし…乞いし…求めたし」「べき…べし…推量の意を表す…するだろう…しそうだ…するにちがいない」
二首には、それぞれの清げな姿がある。「心におしきところ」は、身近な人の、生々しい性愛の情況で、おとこ花の散った後のありさまで共通している。
歌合は、どちらが勝ちか持(引き分け)かなど、批評され判定されて、ゲームのような面白さが加わるが、この歌合いは全てが上手の歌なので勝負の判定も批評も無い。「心におかしきところ」を対比する事により、おかしさが増す。それを楽しむための歌集のようである。
前十五番歌合(公任卿撰)の原文は、群書類従本による。