帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (401)限りなく思ふ涙にそほちぬる

2018-01-25 20:27:33 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

(題しらず)            (よみ人しらず)

限りなくおもふ涙にそほちぬる 袖はかはかじ逢はん日までに

(題しらず)             (詠み人しらず・匿名で詠まれた女の歌として聞く)

(限りなく君を恋しく思う泪に、濡れた衣の袖は、乾かないでしょう、次に逢うはずの日までも……限りなく貴身を思う涙に、朱の土色の路濡れる、濡れたわが身の端は乾かないでしょう、また合う日までも)。

 

 

「おもふ涙…もの思う泪…喜びの涙…おとこの涙…おんなの涙」「そほちぬる…濡れてしまった…濡れに濡れた…そほ路濡れる」「そほ…赤い土色…朱…ものの色」「ち…ぢ…じ…地…路…おんな」「ぬる…してしまった…濡れる」「袖…衣の袖…身の端…おんな」「あはん…逢うであろう…合うはずである」「までに…までも…それほどまでも…程度をはっきり表す」。

 

朝帰る男の耳元で囁いた妻女のことば――歌の清げな姿。

限りなく満たされたおんなの本音のようである。――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)