帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(二十六)また、男、しのびて知れる人ありけり

2013-11-21 00:03:16 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてある。それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



 平中物語(二十六)また、男、しのびて知れる人ありけり


 また、男(平中)、しのびて知れる人(偲んで交わり親しむ女……忍んで占有する女)があったのだった。人しげしところなれば(人が大勢詰めて居る所なので……人しけしところなれば・その人醜いところあれば)、夜も明けない先に、人(人々…その女)が寝静まっている折りに、
帰り出たときに、まだ暗い時なので、どうして帰ろうかと思うけれど、とても難儀だったので、門の前に渡した橋の上に立って言い入れる。
 よはにいでて渡りぞかぬる涙川 淵と流れて深く見ゆれば

(夜半に出て来て、渡りかねたよ別れの涙川、淵となって流れて、深く見えれば……夜の半ばに出でて、わたりきれなかったよ、汝身だかは、傷跡・淵となって流れていて、情・深く見るので)。


 言の戯れと言の心

「しれる…知れる…知っている…関係している…領有している」「しげし…繁し…群れている…しけし…しこし…醜し…みにくし(たぶん女の身の傷跡)」「なれ…なり…である…断定…所在・状態なども表す」。

歌「夜半…暗いうち(女の傷と深い心の淵を気遣って)…普通は暁」「いでて…(門を)出て…(ものを)放出して…(ものを)出して」「なみだ…(朝の別れの)涙…(絶頂へ渡り切れなかった残念の)涙…(ものの)涙…汝身だ…あなたの身」「かは…川…女…疑問を表す」「淵…深い」「見ゆ…思う…覯する…媾する…まぐあふ」。


と言い入れたので、女も寝てなくて、起きて居たのだった。返し、

  さよなかに遅れてわぶる涙こそ君が渡りの淵となるらめ                                             

(さ夜中に取り残されて、心細くて、わたくしの流す涙こそ、君の渡る川の淵となっているのでしょう……さ夜中に、山ばの頂上へ・遅れていって、お詫びのわたくしの涙こそ、君の辺りの淵となっているのでしょう)。


 「おくれて…とり残されて…遅れて…後発で」「わぶる…心ぼそい…思いみだれる…わびる…あやまる」「わたり…渡り…辺り」。


 男、いとあはれ(とっても哀れ……とってもいいなあ)と思って、またもの言い入れようと思ったけれど、大路に人など居たので、立ちどまれなくて、帰ったのだった。

 


 「ひとしげしところなれば」は、「人繁し所なれば」とも「女醜しところあれば」とも聞こえるように書いてある。これが、清少納言の言う、聞き耳異なるもの、女の言葉である。

地の文も歌も、このように読めば、藤原公任の言う、歌の「心におかしきところ」が聞こえて、物語の形相は一変する。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。


  歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、
「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。