■■■■■
帯とけの拾遺抄
「拾遺抄」十巻の歌の意味を、主に藤原公任の歌論に従って紐解いている。
紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてある。その姿を観賞するのではなく、歌の心を憶測するのでもなく、「歌の様(表現様式)を知り」、「言の心」を心得れば、清げな衣に「包まれた」歌の「心におかしきところ」が顕れる。人の「心根」である。言い換えれば「煩悩」であり、歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であるという。
拾遺抄 巻第一 春 五十五首
承平四年中宮賀の屏風に (忠峯)
二十七 はるのたをひとにまかせてわれはただ 花に心をつくるころかな
承平四年(934年)中宮の(五十歳)賀の屏風に (古今集撰進より三十年後、忠岑も六十歳以上の老人)
(春の田を、若い・人に任せて、我はただ、草花に心を寄せて親しむ頃かな……春情の田を・多を、人にまかせて、我はただ、男花のように、心を偽り装う頃だなあ)
歌言葉の「言の心」と言の戯れを紐解く
「はる…四季の春…春情」「た…田…言の心は女…多…多情」「花…草花…女花…木の花…男花…おとこ端」「人…若い人…貴女様のような人…他人」「花に…花に対して…男花のように」「心をつくる…心を付くる…心を寄せ親しむ…心を作る…心を偽ってその様を装う」「かな…感動を表す…か・な…疑問を表す」
歌の清げな姿は、長寿の言祝ぎ。
心におかしきところは、田の多情と、ただ偽り装うだけの木の端と対比するところ。
この歌、『拾遺集』では作者を斎宮内侍(伊勢の斎宮に仕える女官)とする。女の歌として聞けば、
(春の田を、人に任せて、わたくしは、ただ、草花に心を寄せ親しむ今日この頃よ……春の情の多々を他の人に任せて、わたくしは、ただ、おとこ花に、心を偽り、汚れなき女を・装っている今日この頃よ)。
題不知 元方
二十八 春たてば山田のこほりうちとけて 人の心にまかすべらなり
題しらず (在原元方・業平の孫)
(立春ともなれば、山田の氷うち融けて、人の心にまかす様子だ・耕している……張る立てば、山ばの、女の・多のこほりうち解けて、男の心に任す様子だ)
歌言葉の「言の心」と言の戯れを紐解く
「春たてば…立春ともなれば…張る立てば」「山田…山の田んぼ…山ばの女」「田…言の心は女…多…多情」「こほり…氷…子掘り、井ほりなどともいう…まぐあい」「うちとけて…うち融けて…うち解けて…心を許して」「うち…接頭語」「人…農夫…男」「べらなり…する様子だ…推量の意を表す」
歌の清げな姿は、立春の日の山田の景色。
心におかしきところは、はる立つ男と山ば多々の女のようす。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。
以下は、当時の人たちの捉えた和歌の真髄である。原文を掲げる。
紀貫之の歌論の表われた部分を古今和歌集『仮名序』より書き出す。
○やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、こと(事・言)、わざ(業・ごう)繁きものなれば、心に思ふこと(事)を、見る物、聞くものに付けて、言ひ出せるなり。
○歌の様(表現様式)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、いにしへ(古)を仰ぎて、今を(今の歌を)恋いざらめかも(きっと恋しがるであろう)。
藤原公任の歌論は『新撰髄脳』の「優れた歌の定義」にすべてが表われている。
○およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしき所あるを、すぐれたりといふべし。
清少納言は『枕草子』で、歌について、このようなこと言っている。
○その人(後撰集撰者の父元輔)の後(後継者)と言われぬ身なりせば、今宵(こ好い)の歌を先ずぞ詠ままし。つつむこと(慎ましくすること・清げに包むこと)さぶらはずは、千(先・千首)の歌なりと、これより出でもうで来まし。
藤原俊成は『古来風躰抄』に、よき歌について、次のように述べている。
○歌は、ただ読みあげもし、詠じもしたるに、何となく、艶(艶めかしいさま・色っぽいさま)にも、あはれ(しみじみとした情趣を感じること・同情同感すること)にも、聞こゆることのあるなるべし。
上のうち、「ことの心」「心におかしきところ」「包まれてある・慎むべき内容」「艶に聞こゆるところ」が、近世以来の国学と近代の国文学的解釈では消えている。国文学的方法で解明できたのは、和歌の清げな姿で、和歌の真髄は埋もれたままである。