帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第一 春 (二十九)(三十)

2015-02-02 00:11:59 | 古典

        



                     帯とけの拾遺抄



 「拾遺抄」十巻の歌の意味を、主に藤原公任の歌論に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてある。その姿を観賞するのではなく、歌の心を憶測するのでもなく、「歌の様(表現様式)を知り」、「言の心」を心得れば、清げな衣に「包まれた」歌の「心におかしきところ」が顕れる。人の「心根」である。言い換えれば「煩悩」であり、歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であるという。

 


 拾遺抄 巻第一 春 
五十五首


     宰相中将敦忠朝臣家の屏風にあれたるやどに人のまできて花見侍るかた侍るところに つらゆき

二十九 あだなれどさくらのみこそふる里の むかしながらのものにぞ有りけれ

宰相の中将敦忠朝臣家の屏風に、荒れた宿に女人が参り花見されている絵のあるところに 貫之

(咲いてはすぐ散り・はかないけれど、桜の木だけが、故郷の昔のままの物であったなあ……あだっぽくはかないけれど、さくらの身こそ、古妻の、武樫のままの物であったなあ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れを紐解く

「あだ…徒…はかない…たよりない…きまぐれ…婀娜…なまめかしい」「さくら…桜…木の花…男花…おとこはな」「のみ…だけ…限定の意を表す…(さくら)の身…おとこ」「ふる里…故郷…古里…古妻…旧妻」「さと…里…言の心は女…さ門」「むかし…昔…武樫…強く堅い…むかしをとこありけり・と語り始める伊勢物語は、昔男ありけり、武樫おとこありけりでもある」「けれ…けり…気付き・詠嘆」

 

歌の清げな姿は、屏風絵通りの荒れた宿と桜と見る美人の風景。

心におかしきところは、むかしながらの男はなを懐かしむ女人の風情。

 

敦忠は藤原時平の子息、菅原道真の怨霊により親子共に三十九歳で早逝したという。この歌、敦忠の生前か、亡くなられた後の作かは不明。

『拾遺集』では、詞書「宰相の中将敦忠朝臣家の屏風に」とだけあって、余計なことは書いていない。歌は春毎に咲きつづける桜木に付けて長寿を言祝ぐようにも聞こえる。まさに「聞き耳異なるもの」で、受け取る耳によって意味が異なる。

 

 

斎院の屏風に春山道をゆく人のかた有る所に        伊勢

三十 ちりちらずきかまほしきをふる里の 花見てかへる人もあらなん

斎院の屏風に春の山道をゆく男の絵の有る所に       (伊勢・古今集の代表的女流歌人)

(散ったか散らずを聞きたいので、わが・故郷の花見て帰る人が、いればいいのに……散り果てないで、利いてほしいので、古妻が、お花を見て、くり返る男こそ、望みなのよ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れを紐解く

「ちりちらず…散り散らず…散り果てた、未だ散り果てていない」「ふる里の…古里の…古妻が」「きかまほし…聞きたい…効きたい…利きたい」「花見…桜花見…おとこ花見」「桜…木の花…男花」「見…覯…まぐあい」「かへる…帰る…返る…繰り返す」「人もあらなん…人がいればいのに…人がいてほしい…男であってほしい」「も…強調する意を表す…願望する最低限度の事柄を示す」「なん…なむ…願望を表す…(在って)ほしい…(居て)くれ…(有って)もらいたい」

歌の清げな姿は、屏風絵の春の山道行く人を見た感想。
心におかしきところは、春情の山ばの道中逝く人を見た感想。


『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


以下は、
当時の人たちの捉えた和歌の真髄である。原文を掲げる。


 紀貫之の歌論の表われた部分を古今和歌集『仮名序』より書き出す。

○やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、こと、わざ、繁きものなれば、心に思ふことを、見る物、聞くものに付けて、言ひ出せるなり。

○歌の様を知り、ことの心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、いにしへを仰ぎて、今を恋いざらめかも。


 藤原公任の歌論は『新撰髄脳』の「優れた歌の定義」にすべてが表われている。

○およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしき所あるを、すぐれたりといふべし。


 清少納言は『枕草子』で、歌について、このようなこと言っている。

○その人の後と言われぬ身なりせば、こよひの歌を先ずぞ詠ままし。つつむことさぶらはずは、千の歌なりと、これより出でもうでこまし。


 藤原俊成は『古来風躰抄』に、よき歌について、次のように述べている。

○歌は、ただ読みあげもし、詠じもしたるに、何となく、艶にも、あはれにも、聞こゆることのあるなるべし。

 

上のうち、「歌のさま」「ことの心」「心におかしきところ」「つつむこと」「艶に聞こゆるところ」が何であるかは、近世以来の学問的な歌解釈では消えてしまった。「事の心」「慎む事」「優美に聞こゆる」などと無難に曲解するほかない。それでは歌論がよく解らないため、当時の当事者たちの歌論は、歌解釈では無視されてきた。