帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(七十一)大宮人の見まくほしさに

2016-06-27 19:01:04 | 古典

               



                              帯とけの「伊勢物語」



 紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。やがて、清少納言や紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する、正当な読みを見いだすことが出来るでしょう。



 伊勢物語
(七十一)大宮人の見まくほしさに


 むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、伊勢の斎宮に、内の御使として参上したところ、その宮に、すきごと(好きなこと…好色なこと)を言っていた女(斎宮女房)が居て、私ごとして、

 ちはやぶる神のいがきも越えぬべし 大宮人の見まくほしさに

 (千早やぶる神の斎垣も越えてしまいそう、大宮人が見たさ逢いたさに……血早ぶる女が、斎宮の・斎垣も越えてしまいそうよ、大身や人が見たく、貴身・欲しさに)

男、

 恋ひしくは来ても見よかしちはやぶる 神のいさむる道ならなくに

 (恋しかったら、斎垣を越えて・来てみて見ろよ、千早ぶる神の禁じる恋の道ではないのだから……乞いしかったら、きてみて見ろよ、血早ぶる女が、自ら制止する道ではないのだから)

 


 貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう言の戯れを知る

 「すきごと…好き勝手な言…好色な言」「ちはやふる…神の枕詞…千早ぶる…霊力ある…威力ある…血早ぶる…氏や人の枕詞…血気盛んな」「神…かみ…上…女」「おほみや人…大宮人…宮中に仕える人…大身や男…大いなるおとこ」「大…ほめ言葉」「みまく…見まく…見たく…あいたく」「見…覯…媾…まぐあい」。

「見ろ…見よ…見の命令形・勧誘の意を表す」「見…まぐあい」「いさむる…禁じる…諫める…制止する」「みち…人の道…恋の道」。

  斎宮女房と「好き言」を言い交わした。女の歌は、女の心に思うことの本音である。斎宮女房として溜まった欲求不満を歌にした。

 言の戯れを知らず、なかでも「見る」には、結婚する、異性と関係を持つ、などという意味の有ることを知りながら、ここでは削除してしまう。たぶん、近代人の理性的判断なのだろう。そのため、歌の真髄は永遠に顕れない。

 歌とは何か、原点に帰れば、古今集仮名序の冒頭に書いてある。「世の中に在る人、こと(事)、わざ(業・ごう)、繁きものなれば、心に思ふことを、見る物、聞くものに付けて、言いだせるなり」。


 (2016・6月、旧稿を全面改定しました)