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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。
貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。さらに、藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も。
古今和歌集 巻第七 賀歌 (364)峰たかきかすがのやまにいづる日は
春宮の生れ給へりける時に参りてよめる 典侍藤原因香朝臣
峰たかきかすがのやまにいづる日は くもる時なく照らすべらなり
(皇太子が御生まれになった時に、中宮の里に参って詠んだと思われる・歌)(ないしのすけふぢはらのよるかのあそん)
(峰たかき春日の山に出る太陽は、曇る時なく、万物を・照らすことでしょう……み音高き春日の山ばに生まれ出る、日の御子は、苦盛る時なく、照り輝くことでしょう)
「峰…御音…御声…うぶ声」「春日の山…春日大社の背後の山…藤原氏を象徴する山…峰の標高が高いのではない」「日…日の御子…皇子」「曇る…苦盛る」「照らす…美しく輝く…恵みを与える」「べらなり…のようすだ…するでしょう」。
藤原氏の象徴の春日の山にでる日を言祝ぐ――歌の清げな姿。
うぶ声高く、藤原氏の女の里に生まれた皇子、やがて美しく照り輝き、恵みを与えることでしょう――心におかしきところ。
皇子誕生の祝賀の歌。
巻第七の終りに、古典和歌のほんとうの解釈に必要なことを、気付いたままに記す。
江戸時代から現代まで続いている国学・国文学による常識的解釈の変更である。言葉の意味に関する発想の転換、即ち、歌言葉には字義以外に「言の心」と言われる意味があり、その上に、「浮言綺語の戯れのよう」に一つの言葉が多様な意味を孕んでいることを、積極的に利用して歌は詠まれていたのを知ることである。
旧態依然とした国文学的解釈の構造改革である。革新的手法の発見である。それは、平安時代の歌論と言語観、即ち原点に返ることであった。国文学が、ほんとうの学問であるならば、上のような事は、学問が進めば明らかになるべき事であるが、今や、国文学という学問は、袋小路に入った返る力無きカエルか、数百年も潮干の潟で身動きできない大船か、そのまま朽ち果てるだろう。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)