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帯とけの小町集
小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも伝わるでしょう。
小町集 21
みもなき夏の穂に文をさして人のもとにやるに
秋風にあふたのみこそ悲しけれ わが身空しくなりぬと思へば
実もなき夏の稲穂に、文さして人のもとに遣るときに……見もなき撫つのおに、文さして男のもとに遣るときに、
(秋風に遭う田の実・飽き風に遭う君への信頼こそ、悲しいことよ、わが身、空しくなってしまうと思えるので……飽きの心風に遭う、他の身こそ、いとおしいことよ、わが身、空虚になってしまうと思うので)。
言の戯れと言の心
「み…実…見…まぐあい」「夏…なつ…撫づ…いつくしむ…懐かし」「ほ…穂…お…おとこ」。
歌「秋風…季節の秋の風…心に吹く飽き風」「たのみ…田の実…稲穂…頼み…信頼・依頼…他の身…おとこ」「かなし…悲し…哀し…いとおし…愛おしい」「むなしく…空しく…虚しく…充実感無く」「ぬ…なってしまう…なってしまった…完了の意を表す」。
「たのみ」は「田の実」と「頼み」の掛詞と学問的解釈は言う。「他の身…異性の身…おとこ」などと戯れると言えば、今の人々には寝耳に水かもしれないが、どうして戯れないと決めつけることができようか。
この歌、古今集の恋歌五にある。恋の終わりの歌のようである。
「深い心・清げな姿・心におかしきところ」の三位一体となった優れた歌体は、柿本人麻呂によって完成した。故に、歌のひじり(歌仙)なのである。人麻呂を継ぐ人々はいたけれども、次第に歌体は崩れ、色好みな「心におかしきところ」を強調した歌が多くなった。仮名序に「(彼の時より年は百年あまり経た頃)、いにしえの言をも、歌の心をも知れる人、詠む人多からず」という。真名序には「彼の時、澆漓(薄っぺらい)歌に変わり、人々は奢淫(おごって・淫らな)歌を貴び、浮詞は雲と興り、艶流れ泉と湧く、歌の実皆落ち、その華独り栄える」とある。
小町の歌はこのような色好み歌全盛の時代に詠まれたのである。歌の言葉は、浮かれた意味に次々と戯れ、歌に色好みなところがあろうとも、驚くことはない。
『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり、同じではない。
以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。
紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。
歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。
優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。
貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。
藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。
歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、それを歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。