帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百九十〕島は

2011-10-04 06:12:22 | 古典

  



                      帯とけの枕草子〔百九十〕島は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔百九十〕しまは

 
 清げな姿

島は、八十島、浮島、戯れ島、絵島、松が浦島、豊浦の島、籬の島。


 原文

しまは、やそしま。うきしま。たはれしま。ゑしま。まつがうらしま。とよらのしま。まがきのしま。


 心におかしきところ

肢まは、八十しま、浮きしま、戯れしま、笑しま、女の心しま、豊らのしま、ま餓鬼のしま。


 言の戯れと言の心

 「しま…島…肢間…股魔…おんな・おとこ」「八十…多い…多情…八十歳」「浮き…浮かれ…憂き」「たはれ…戯れ」「ゑ…絵…笑」「まつ…松…女…待つ」「うら…浦…心」「とよ…豊…豊潤…豊か」「ら…状態を表わす」「まがき…籬…粗い垣根…魔餓鬼…渇き餓えたもの」。

 
 「やそしま」は、古今和歌集の小野たかむら朝臣の歌では、次のように用いられてある。

 隠岐の国に流されける時、船に乗りて出で発つとて、京なる人のもとに遣わしける

わたのはらやそしまかけてこぎでぬと 人にはつげよあまのつりふね

(海原を八十島かけて漕ぎ出したと、京の人には告げよ海人の釣り舟……腸の腹、多情の士間かけて・老婆の肢魔めかけて、こぎ出たと宮この女には告げよ、おんなの吊りふ根)。

「あまのつりふね…海人の釣り舟…おんなの小さな吊りふ根」「京…都…山ばの極み…感の極み…宮こ」。

 

歌の「心におかしきところ」から、はらわた吐き捨てるような男の「深き心」の声が聞こえるでしょうか。「清げな姿」からは、心を推し量ることは出来ない。

 


 「たはれしま」は、伊勢物語の歌にある。

むかし、男、筑紫まで行ったときに、「これは、色好む好き者」と簾の内の女が言ったのを聞いて、「染河を渡らむ人のいかでかは色になるてふことのなからん(あの・染川を渡る男がどうして色に染まらないことがあろうか・好き者なんて濡衣だよ)」というと、女、返し、

 名にし負はばあだにぞあるべきたはれしま 浪の濡れ衣きるといふなり

(名に負わされているので、あだにぞあるべき戯れ島 浪の濡れ衣着ると言うなり……戯れしまと・名に付けられているのだから、あだに違いない戯れし間、無みの濡衣着ていると言訳け言っているよ)。

 「あだ…徒…浮気な…中身が無い…はなかい」「たはれ…戯れ…ふざけ…淫れ」「しま…島…肢間…士間…おとこ」「なみ…浪…無み…無実」「ぬれぎぬ…無実の噂」。

 「しま」を「島」と一義に聞く限り、歌からも物語からも、おかしさは聞こえてこない。

 

枕草子のこの章は、ただの島の名の羅列とは聞かないで、「しま」の戯れを知り、「島…肢間・肢魔…おとこ・おんな」と聞けば、しまの名が、それぞれに、それなりに「をかし」くなるでしょう。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・9月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。