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帯とけの「伊勢物語」
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で、在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を読み直しています。やがて、清少納言や紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する、正当な読みを見いだすことが出来るでしょう。
伊勢物語(七十三)月のうちの桂のごとき君にぞありける
むかし(昔…若かった頃)、そこにはありときけと(其処には在りと聞いたけれど…息には・生きては、在りと聞いたけれど)、せうそこをだにいふべくもあらぬ(便りさえできそうにない…消息さえ・わが生き死にさえ、言えそうにない)女の身辺を思ったのだった。
めには見て手にはとられぬ月のうちの 桂のごとききみにぞありける
(目には見て手には取れない月の内の桂のような姫君だったなあ・雲をつかむような人だったなあ……女には、まだ見得て、手にはできない、おとこの・尽きのうちの、且つら・さらに又、のような、わが貴身だったなあ)
貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう言の戯れを知る
「せうそこ…消息…便り…安否…生き死に」「め…目…女…おんな」「見…覯…媾…まぐあい」「手に取る…思うままにする」「あたり…辺り…身辺…当たり…感触」「つきのうちのかつら…月に生えるという桂樹…高嶺の花以上の手の届かない存在…おとこの尽きのうちにあってなお且つという女の情態」「月…月人をとこ…突き…尽き」「かつら…桂…且つら…なおも又」「ら…状態を表す」。
歌の清げな姿は、或る女人の事を述懐した。高根の花どころか、月の桂のような姫君だったなあ。我を捨て去って、女御になってしまった女人への愛憎は消えない。
心におかしきところは、女の立場で詠まれてある。且つ又と求めても、尽きのうちに在る、わが貴身だったなあ。睦ましかった時の女の姿態を露わにするのは、下劣な嫌がらせで、愛憎の憎の部分である。それを、大淀の遊びめの次に置くとは、またまた、憎が煮えくり返ったようようである。
(2016・6月、旧稿を全面改定しました)