帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰髄脳 (三)

2014-11-19 00:40:09 | 古典

       



                   帯とけの新撰髄脳



 『新撰髄脳』の著者、四条大納言藤原公任は、
清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人である。藤原道長も、公任を詩歌の達人と認めていた。


 和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して相伝が行われたが口伝という。そのような継承は数代経てば形骸化してゆく。江戸の学者たちの国学とそれを継承した国文学によって論理実証的に和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。明治時代、正岡子規に、「古今集はくだらぬ集に有之候」「無趣味」「駄洒落」「理屈っぽい」のみと罵倒されるような歌になっていた。平安時代の人々はほんとうに、そのような「くだらぬ」歌と思っていたか、否である。


 「およそ歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあるのを、優れているというべきである」などと、奇妙なことを言う公任の歌論を、無視し続けて来た結果、江戸時代以来、我々は和歌の解釈を間違えて、清げな姿しか見ていないのである。和歌の元の意味を蘇生するには、古今集が秘伝と成る以前に帰ればいいのである。あらためて公任の歌論を紐解き、和歌の帯を解き、「心におかしきところ」をよみがえらせようと思う。


 歌の帯が解ければ秘伝と成るべき妖しい意味のあることもわかる。

 

(以下、新撰髄脳では手本にすべき歌を九首撰んで掲げ、これらの心と詞を参考にするべしと述べられる)

 


 「新撰髄脳」

 

世中を何にたとへん朝ぼらけ こぎ行舟の跡の白波

(世の中を何に例えようか、ほのぼのとした夜明け、漕ぎ行く舟の跡の白波・の如し……女と男の・夜の仲を、何にたとえようか、朝、浅ほらけ、こき逝く夫根の、後の、白汝身・の如し)

 

言葉の多様な意味

「世中…女と男の世の中…夜中…夜の仲」「朝ぼらけ…ほのぼのと夜の明けるころ…浅ほらけ…浅く空虚な感じ…むなしい感じ」「ほら…洞…内が空虚」「こぎ…漕ぎ…押し分け進む…こき…放ち」「ゆく…行く…逝く」「ふね…船…夫根…おとこ」「あと…跡…後」「しらなみ…白波…立てば消えまた立つもの…白汝身…白々しい汝身」

 

深き心は、立った白波の跡がやがて消えるような世の無常。

清げな姿は、朝もやの中を漕ぎ行く舟の景色。

心におかしきところは、満たされたはずの夜の営みの朝の空虚な気色。

 

(拾遺集、法師の歌)。

 

 

天原ふりさけ見ればかすかなる みかさの山に出し月かも

(天の原、ふり隔て、異国より・見れば、あれは・春日の御笠の山に出た月かなあ……吾女の腹振り離れ見れば、微かである、三重なる山ばに出た、つきひとをとこだなあ)


 言葉の多様な意味

「あま…天…女…吾間」「はら…原…腹」「さけ…避け…隔て…離れ」「見…観察…覯…媾…まぐあい」「かすか…春日…地名…微か…貧弱」「みかさなる…三笠なる…三重なる…三度重ねの」「山…山場…感情の山ば」「月…つき人をとこ…壮士…おとこ」「かも…感嘆・感動の意を表す」


 深き心は、異国での望郷の念。

清げな姿は、異国の海辺で見た月の景色。

心におかしきところは、異国で妻を娶り三つ重なる営みの果ての、微かなるおとこの物語。

 

(古今集、帰国船の難破などにより異国に留まった昔の留学生の歌)。

 

 

和田の原八十島かけてこぎ出ぬと 人には告げよ海士の釣ふね

(海原を八十島めざして、流人を乗せて・漕ぎ出たと、人々には告げよ、漁師の釣舟……綿のような腹、多き肢間めざし、こぎ出たと、女あるじには告げよ吾女の吊りふ根)


 言葉の多様な意味

「わた…海…綿…柔い」「はら…原…腹」「八十島…多くの島…やそ肢間…多情な肢間」「肢間…おんな」「こぎ…押し分け進み…こき…体外に出し」「人…人々…女…女主人」「あま…海人…海士…海女…吾女…おんな」「つりふね…釣り船…吊り夫根…陰核…居付きの身やの童べなどともいう…おんなの具す童子」

 

深き心は、不本意ながら憤懣を抑制した心。

清げな姿は、女の使う童子に、無事出航の知らせ。

心におかしきところは、女の具す吊りふねに、こぎ出しを告げるさま。

 

(古今集、隠岐の島に流された時、舟に乗って出で立つと、京の女に知らせた流人の歌)

 


 これはむかしのよきうたなり。

これらは昔の良き歌である。

 


 「新撰髄脳」の原文は、続群書類従本による。


帯とけの新撰髄脳 (二)

2014-11-18 00:12:58 | 古典

       



                   帯とけの新撰髄脳


 

『新撰髄脳』の著者、四条大納言藤原公任は、清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人である。藤原道長も、公任を詩歌の達人と認めていた。

和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆく。江戸の学者たちの国学とそれを継承した国文学によって論理実証的に和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。明治時代に正岡子規に、「古今集はくだらぬ集に有之候」「無趣味」「駄洒落」「理屈っぽい」のみと罵倒されるような歌になった。平安時代の人々はほんとうに、そのような「くだらぬ」歌と思っていたか、否である。
  「およそ歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあるのを優れているというべきである」などと、奇妙なことを言う公任の歌論を、近世以来、無視し続けて来た結果、我々は和歌の解釈を間違えているのである。和歌の元の意味を蘇生するには、古今集が秘伝と成る以前に帰ればいいのである。あらためて公任の歌論を紐解き、和歌の帯を解き、「心におかしきところ」をよみがえらせる。

 

(以下、新撰髄脳では手本にすべき歌を九首撰んで掲げ、これらの心と詞を参考にするべしと述べられる。今日より、三首づつ聞いていく)


 

風吹けばおき津しら波立田山 夜半にや君が独りこゆらん

(風吹けば難波の沖津に白波立つ龍田山、夜半に君は独り今ごろ越えているのでしょう……心に風ふけば、捨て・置きの女、白じらしい心波が立つ、絶った山ば、夜半ではないか、君は独り越えて逝くでしょう・どうして)

 

言葉の多様な意味

「おき…沖…置き」「津…言の心は女」「立田山…龍田山…風と紅葉の名所…絶った山ば」「白波…白々しい心波…白汝身」「白…色の果て」「な…汝…親しみ込めて君のもの」「らん…今ごろ何々だろう…目に見えていない現在の事柄について推量する意を表す…何々だからか、どうしてだろう…現在の事柄についてその原因理由を推量する意を表す」

 

上の句に、歌枕(龍田山)を置いて下の句で詠み人の思うことをいう歌。


 伊勢物語では、大和に住む女が、家運と容貌の衰えを知り、夫が河内の高安の女の許へ通うのを容認して送り出すので、夫の方が妻を怪しんで、河内へ出かけたふりをして、前栽に隠れて妻の様子を窺っていると、妻は、けさうして(化粧して…怪相して)、この歌を詠んだのである。妻の心の深い奥まで知らされた男は、それより、河内の女の許へは通わなくなったという。

 

これを歌の本とすべし。

   この歌を歌の手本とするといい。

 

 

なにはなるながらの橋もつくるなり 今は我が身をなににたとへん

(難波なる長柄の橋も繕い作ると聞く、今は、永らえ古びた・我が身を何に例えようか……あれは萎る、永らの身の端も尽きるのである、今は我が身を何に例えようか)

 

言葉の多様な意味

「なにはなる…難波にある…難波の…何は萎る…あれは萎える」「なる…にある…為る…萎る…なえる…よれよれになる」「ながら…長柄…橋の名…古い長い橋…永らえ古くなったもの」「はし…橋…端…端くれ…身の端…をんな・をとこ」「つくる…造る…改修する…作る…装う…改装する…尽くる…尽きてしまう」「なり…伝聞を表す…断定を表す」

 

上の句に歌枕である長柄の橋を詠み、下の句に今の心情を言い表わした歌。


 深い心は、老いの嘆き、誰もが羨む情愛の限りを尽くしてきた老女の自嘲。

清げな姿は、長柄の橋の改装とその感想。

心におかしきところは、何は萎え、色ごと尽きた女のありさま。

(古今集雑体 誹諧歌 題しらず 伊勢。 誹諧歌は、誹謗・諧謔の歌。滑稽味のある誹り、自嘲も含む) 

 

これは伊勢の御が子の中務の君にかくよむべしといひけるなり

この歌は、伊勢の御が娘の中務の君に、歌はこのように詠むといいのよと言ったのである。

 

 

恋せじとみたらし川にせしみそぎ 神はうけずもなりにけるかな

(恋しない・諦めようと、賀茂の社の・御手洗川でした禊ぎ、神は受付けないまでにもなってしまったなあ……乞い求めないと、見たらし川でした身の退き、上は承知しないまでにも、なってしまったなあ)

 

言葉の多様な意味

「恋…身分違いの恋か…乞い…求め」「みたらし川…御手洗川…名高い賀茂の社の御手洗川…川の名…名は戯れる。見垂らし川、身たらし川」「見…覯…まぐあい」「たらし…だまし…あざむき…垂らし…滴らし」「川…女…おんな」「みそぎ…禊ぎ…身を清める…身削ぎ…身を剥がす…身を離す」「かみ…神…髪…上…うえ…女の尊称(例・紫の上)」「うけず…受けず…受託しない…承知しない」「かな…感嘆・感動を表す」

 

上の句は、名高い賀茂神社の御手洗川での禊。下の句には男の思いが言い表わされてある。

 

深い心は、身分違いのためか恋の断念を決意した男の心情。

清げな姿は、男が恋を断念するため御手洗川でする禊。

心におかしきところは、身を削ぐように退くおとこを承知しない女の思い。

 (伊勢物語にある歌。よみ人は男)

 

これは深養父が元輔にをしへける歌也。

この歌は、清原深養父が元輔(清少納言の父)に・このように詠めと・教えた歌である。


 

「新撰髄脳」の原文は、続群書類従本による。


帯とけの新撰髄脳 (一)

2014-11-17 06:37:30 | 古典

       



                   帯とけの新撰髄脳



 『新撰髄脳』の著者、四条大納言藤原公任は、
清少納言、紫式部、和泉式部らと同時代の人である。藤原道長も、公任を詩歌の達人と認めていた。江戸の学者たちの国学とそれを継承した国文学の和歌解釈は、その公任の歌論を無視したまま行われたのである。この新たな学問的解釈によって、和歌は味気も色気もない歌になってしまった。明治時代に正岡子規よって、「古今集はくだらぬ集に有之候」「無趣味」「駄洒落」「理屈っぽい」のみと罵倒されるまでもなく、「古今集」の歌は「くだらない」のである。
 公任のいう「心深く、姿清げで、心におかしきところがあるのを優れた歌というべきである」とはどういうことなのか。公任の歌論をあらためて紐解き、和歌の帯を解き、「心におかしきところ」を蘇らせようと思う。


 

『新撰髄脳』 (四条大納言公任卿 著)

 

歌のさま、三十一字惣して五句あり上の三句をば本と云下の二句をば末といふ。一字二字のあまりたれども、うちよむに例にたがわねばくせとせず。

歌の様式、三十一字、すべてで五句あり、上の三句を本と云い、下の二句を末と云う。一字・二字余っていても、読みあげるのに、普通と違和感がなければ欠点としない。

 

(歌の定型について述べたもので、字数などは時がたっても紛れようがないので、現代の短歌と全く変わっていない)。

 

凡歌は心ふかく姿きよげにて心におかしき所あるをすぐれたりといふべし。事多く添えくさりてやとみゆるがいとわろきなり、一筋にすくよかになんよむべき。

およそ歌は、心が深く、姿は清そうに見えて、心におかしきところが有るのを、優れていると言うべきである。おかしき・事を、多く添えつらねてあるなあと思えるのは、まったく良くない。心におかしき事は・一筋に、素直で健全にだ、詠まなければならない。

 

優れた歌の定義が述べられ、表現についての注意事項が述べられてある。これらは、時代と共に衰退したり世に埋もれたり新たに編み出されたりして変化したため、近世以来の現代の文脈に居て、公任の歌論を理解することは不可能である。そのため公任の歌論は、無視するか、聞き流すか、曲解するしかないので、国学も国文学もそうしてきたのである。

三十一文字で表された和歌に三つの意味が有ることになる。1、心深いと感じさせる。2、一読・一聞して清く美しいと感じさせる。3、心におかしいと感じさせる。三つの意味を備えていなければ優れた歌ではないという。一つの言葉で三つの意味を表現するには、言葉にはそれぞれ必ず複数の意味が有る事を活用すれば可能である。清少納言は枕草子に、この言葉の事を「同じ言なれども、聞き耳異なるもの(其れは)法師の言葉、男の言葉、女の言葉(即ち我々上衆の言葉である)」と述べているのである。例えば「はる」と云う言葉は、「季節の春」「暦の立春」「青春」「春情」「張る」などと聞き耳によって異なる意味に聞こえる。このやっかいな性質を逆手にとれば、仮名表記では複数の意味を一つの言葉で表現できる。   

その例を古今和歌集巻頭の一首で見てみよう。


 ふる年に春たちける日よめる  在原元方

(旧年中に立春となった日に詠んだ・歌……元服する前年中に心に春がきて身も張る立った日に詠んだ歌) 在原業平の孫

 
 としのうちに春はきにけりひととせを こぞとやいはむことしとやいはむ

 (年の内に暦の立春は来たことよ、残りの・一年を、去年と言おうか今年と言おうか……疾しのうちに・早いうちに、心に春がきて・ものも張る立つたことよ、ひとと背を・おとなの女と男の日を、来るなと言おうか、来い早くと言おうか)


 先に示した「春」の他に、次のような言葉も多様な意味がある。「とし…年…疾し…早過ぎ」「ひと…一…人…おとなの女」「せ…背…夫…おとなの男」「こぞ…去年…こそ…来そ…来る勿れ」「ことし…今年…来疾し…来い早く」

 

心に春を迎えた少年の惑いを表現して、心深いと言えば深い。

暦について少年らしい理屈を述べて、姿は純真で清げである。

「張るはきにけり」とはエロス(性愛・生の本能)で、心におかしいといえばおかしい。


 

心姿あひ具する事かたくは、まづ心をとるべし。つゐに心深からずは、姿をいたはるべし。そのかたちといふは、うちきゝきよげにゆへありて、歌ときこえ、もしはめづらしく添などしたる也。ともにえずなりなば、いにしへの人、おほく本に歌まくらを置きて、末に思ふ心をあらはすさまをなん。なかごろよりはさしもあらねど、はじめにおもふ事をいひあらはしたる。なをつらきことになんする。今の人のこのむ、これがさまなるべし。ここにいふ九首の風躰也。

心におかしきところ、清げな姿を共に添えることが難しければ、先ず心におかしきところを取り去るといいだろう。結局、心深くなければ、姿を大切にすると良い。その姿形というのは、ふと聞いて清げで風情があって、歌と聞こえ・定型通りで・なめらかで、ひょっとして、好ましく・心におかしきところを添えたりして有るのである。心姿・共に得られなくなれば、昔の人は、多く、本に歌枕を置き(上の句に名所などを詠み)、下の句に、思う心を表す様式で・詠んだのだ、そうするといい。遠くはない昔よりは、そうでもなくなったが、はじめに思うことを言い表したものもある。やはりこれは詠みづらいことになる。今の人の好むのはこれらの様式であろう。ここに言う九首の風体の歌である。

 


(以下、手本にすべき歌を九首撰んで掲げ、これらの心と詞を参考にするべしと述べられる。明日に続く)


「新撰髄脳」の原文は、続群書類従本による。



帯とけの九品和歌 下品下

2014-11-12 00:13:28 | 古典

       



                   帯とけの九品和歌



  公任の歌論『新撰髄脳』に、「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし」と優れた歌の定義が明確に述べられてある。この歌論に基づいて『九品和歌』を紐解いている。帯はひとりでに解け、「心におかしきところ」が顕わになるだろう。それには先ず、貫之が古今集仮名序の結びにいう「歌のさまを知り、こと(言)の心を心得る人」であることが必要である。

 


 「九品和歌」 下
品下

 
 ことばとゞこほりてをかしきところなきなり。

 (言葉が滞って、おかしきところが無いのである……言葉の流れが悪く淀んで、心におかしき艶が消えてしまって無いのである)

 

 世の中のうきたび毎に身を投げば ひと日に千度我やしにせむ

 (世の中が憂き度毎に、池にでも・身を投げれば、一日に千度、我は死んでいるだろうな……夜の仲が浮き度毎に、逝けに・身を投げれば、我は一日に千度、死ぬだろうな)


 言の戯れと言の心

「よの中…世の中…男女の仲…夜の中」「うき…憂き…浮き」「し…死…逝」「む…推量の意を表す」

 

歌の清げな姿は、憂き世の中の誇張表現。

心におかしきところは、おとこの自慢らしいが、誇張しすぎた言葉に引っかかって、艶消しでおかしくない。

 

 

梓弓ひきみひかずみこずはこず こはこそは猶こずはこはいかに

(梓弓・引いたり引かなかったり、君・来ないのは来ないつもりね、これは、これこそは、やはり来ないのは、これはどうしたことよ……弓張りのもの、引き寄せたり寄せなかったり、もの・来ないのは来ないのね、此れは、此れこそは、汝ほ、来ないのは、此れ何ゆえに)


 言の戯れと言の心

「梓弓…梓製の弓…枕ことば、引く・射る・張るなどにかかる」「弓…おとこ」「ひき…弓を引き…引き寄せ」「こず…来ず…(待つ君が)来ない…ものが来ない…(山ばが)来ない」「こ…来…子…小…此れ…おとこ」「なほ…猶…やはり…汝お…君のおとこ」

 


 こずはこずこはこそこずはそをいかに ひきみひかずみよそにこそみめ

 (君・来ないのは、もう来ないのね、此れこそ、来ないのは、其れはどうしたことよ、引く退かないいづれにしても、よそ目に観察するつもりよ……君・来ないのならば来ずっともいい、其れこそはどうかしたの、引き身引かず身、他所の女にこそ、見ているのでしょう)


 言の戯れと言の心

 「こず…来ず…(待つ君が)来ない…ものが来ない…(山ばが)来ない」「こ…来…子…小…此れ…おとこ」「見…観…覯…媾…まぐあい」「め…む…意志を表す…推量を表す」

 

この両歌の清げな姿は、男心に吹いた飽き風を問い詰める女の心情。

心におかしきところは、伝わっても、読みあげにくく聞きづらい言葉に引っかかって、艶もあはれさもないので、心におかしく無い。


 

原文は、『群書類従』和歌部の「九品和歌・前大納言公任卿」による。



 以下は、伝統的和歌について、これまでに得た、ささやかな仮の説である。


◇藤原俊成は、『古来風躰抄』に、「これ(歌の言葉)は、浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕れる」と、歌に複数の意味が顕れる原理を述べ、その重要さを述べた。加えて、「歌のよきこと」(優れた歌の様)について、「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞こゆることのあるなるべし」と述べている。公任の歌論でこれを読み解けば、(歌はただ読み上げたり、朗詠した時に、心におかしきところが・何となく色気があって艶っぽく、心にしみじみとした感慨や胸がキュンなる感動が有るように聞こえることがあるべきである)ということになる。公平に見て、上品の歌にはそれがあるが、下品になるにつれて、艶が失われていることがわかる。


 

これにて、「九品和歌・前大納言公任卿」の解釈を終える。今の、伝統的和歌の捉え方は、公任とは全く異なる文脈に成ってしまっているため、「和歌九品」と称される公任の歌論を解釈することは不可能であった。「歌に表裏の説ありといふこと不用」という近世の国学と、其れを継承した国文学によって構築されてきた解釈方法を、私は、あえて捨て去った。そして、貫之、公任の説に素直に耳を傾けると、こうして、曲がりなりにも、公任の歌論の一つが解けた。

今のところは、四面楚歌であるが、我らの和歌はそのような歌ではなかった。我が歌解釈の方法は間違っていないことを、地道に示していくしかない。そうすれば、和歌に、心におかしきところが甦るだろうか。

 

数日休んで、また、和歌について語りつづけるつもりである。

 


帯とけの九品和歌 下品中

2014-11-11 00:53:52 | 古典

       



                   帯とけの九品和歌



 公任の歌論『新撰髄脳』に、「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言ふべし」と優れた歌の定義が明確に述べられてある。この歌論に基づいて『九品和歌』を紐解いている。帯はひとりでに解け、「心におかしきところ」が顕わになるだろう。それには先ず、貫之が古今集仮名序の結びにいう「歌のさまを知り、こと(言)の心を心得る人」であることが必要である。

 

 「九品和歌」 下品中


 ことのこゝろむげにしらぬにもあらず。

(言の心、無下に、知らないのではない……言の心を全く何も知らないのではない)

 

 今よりはうゑてだにみじ花薄 ほに出づる秋はわびしかりけり

 (今よりは、植えまでして観賞しないつもりだ、花薄、穂に出る秋は侘びしいことよ……これからは、たね・うえつけまでして、見るつもりはない、華の薄い気、ほに出る飽きは、わびしいかりであるなあ)


 言の戯れと言の心

 「うゑ…植え…植え付け…種付け…胤つけ」「見…観…覯…媾…まぐあい」「じ…打消しの意志を表す」「花薄…花の咲いてしまった薄…飽きてしまった薄情な気…薄は草花なのに薄情なのは男だからか、言の心は男」「ほ…穂…お…おとこ」「秋…飽き…あきあき」「わびし…ものたりずさみしい…くるしくつらい…やりきれない…興ざめだ…わびしきおとこのさが」「かり…(わびしく)あり…狩り…猟…まぐあい」「けり…詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、花薄に寄せた季節の秋のわびしさ。

心におかしきところは、飽き果てたおとこのわびしさ。

深き心はない。 


 

我が駒は早くゆきこせ松浦山 まつらむいもをいきてはやみむ

(我が駒は早く行き越せ、まつら山、待つであろう愛しい人を、行って早く見たい・逢いたい……わがこ間は、早くゆき越させよ、女心の山ば、待つだろう愛しい女を、活きて全速で見よう)

 

言の戯れと言の心

 「こま…駒…こ間…股間」「はやく…早やく…すみやかに…すぐに」「ゆきこせ…行き越せ…山ばを・行き越せ(命令形)」「まつら山…山の名…名は戯れる。松浦山、待つら山ば、女心の山ば」「松…木の言の心は男ながら、待つためかどうか、松の言の心は女」「浦…言の心は女」「いき…行き…生き…活き」「はや…早や…速や…急速・強烈」「み…見…対面…覯…まぐあい」「む…意志を表す」

 

歌の清げな姿は、愛しい人に早く逢いたいと吾駒に鞭打つ男。

心におかしきところは、愛しい女を全速で山ばへ送り届けよと吾こ間を叱咤激励する男。

 深きい心はない。
 

原文は、『群書類従』和歌部の「九品和歌・前大納言公任卿」による。



 以下は、伝統的和歌について、これまでに得た、ささやかな仮の説である。


◇清少納言は、すすき(薄)という植物とその名を枕草子に記している。

「草の花は」という書き出しで、なでしこ、おみなへし、他、次々と草花の名を十数種類示して、「これに薄を入れぬ、いみじうあやしとひといふめり」という。草花の言の心は女なので、これに薄を、入れぬ(入れないと…入れたら)、女たちはとっても変よというでしょう(薄の言の心はおとこだから)。「秋の野のおしなべたるおかしさは、薄こそあれ、穂先の蘇枋にいと濃きが、朝霧に濡れてうちなびきたるは、さばかりのものやはある。秋の果てぞ、いと見どころなき(……飽きのひら野の、おしひしがれたおかしさは、すすきこそよ、ほ先の、赤紫いろの濃いのが、浅きりに濡れてうちひしがれてよれよれになったのは、それほどの物は他にあるや・無い。飽きの果てぞ、まったく見どころなし)」「人にこそいみじうにたれ(人によくよく似ている……男によく似ている)」などという。清少納言は読者の女たちを意識して、その心をくすぐっているのである。そのおかしさは、和歌の「心におかしきところ」と同じであり、言葉の用い方も同じである。伝統的和歌の文脈に至らなければ、枕草子も清げな姿しか見えない、「をかし」とあっても、おかしくないのはそのためだ。

 

◇「我が駒は」の本歌は、万葉集 巻第十二にある。旅にあって我が家の妻を思い詠んだ歌。「乞吾駒 早去欲 亦打山 将待妹乎 去而速見牟」(さあ、吾駒、ここは・早く去ろう、故郷の・まつち山、待つだろう妻を、早く見たい・逢いたい……乞う吾こ間、ここは・早く去ろう、まつち山、待つだろう妻を、ゆきて急速・全速で、見たい・覯しよう)。