■■■■■
帯とけの九品和歌
藤原公任は和歌の良しあしを人に「さとし」示すために「ここのしなのやまと歌」を撰んだと、後拾遺和歌集の撰者参議藤原通俊は、応徳三年(1086年)四番目の勅選集の序文に紹介している。「九品和歌」のことである。
公任の歌論書『新撰髄脳』には、「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義が明確に述べられてある。この歌論に基づいて、『九品和歌』を紐解いてゆく。帯はひとりでに解け、「心におかしきところ」が顕わになるだろう。それには先ず、紀貫之のいう「歌のさまを知り、言の心を心得る人」であることが必要である。
今日は文化の日。日本の伝統文化の根底にあるのは和歌である。しかし、残念ながら伝統的和歌の意味は、今や埋もれ木のようになってしまった。「国文学」が解く和歌の意味は、貫之や公任の歌論を無視するか曲解したままである。そうせざるを得ないほど、伝統的和歌を聞き違えている。逆に、当時の人々と同じように和歌の意味を聞きとれれば、貫之や公任の言うことを、無視するどころか、納得了解し仰ぎ見ることができるのである。
「九品和歌」 前大納言公任卿
上品上
これは言葉たへにして、あまりに心さへあるなり
(これは、言葉妙にして、余りに、心さえ有るのである……この上品上の歌は、言葉の用い方が巧妙で・絶妙に優れていて、姿清げで・そのうえ、深い心、心におかしきところさえ有るのである)
ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思ふ
(ほのぼのと、明けゆく・明石の浦の朝霧に島隠れ行く船を、なごり惜しく思う……ほのぼのと、明けゆく証しの心が、浅切りのために島隠れ逝く、ふねを・わが命を、惜しく思う……ほんのりと赤しの女の心が、浅限りのために肢間隠れ逝く夫根を、愛しと・惜しと思っている)
歌の清げな姿は、明け初める明石の浦の景色。
深き心は、おそらく流罪を科せられた流人の、無罪の証明が浅いまま打ち切られて、島に流され逝く、わが命への愛着のこころ。
心におかしきところは、ほんのり紅潮しはじめた妻女が、浅切りして肢間隠れ逝く夫根を、愛しと惜しむところ。
春立つといふばかりにやみ吉野の 山も霞みて今朝は見ゆらむ
(立春になったというだけでかな、美吉野の山も霞んで、今朝は見えているだろう……心に・春を迎えたというばっかりに、美吉野の山も、春霞に・かすんで、今朝は見えるのだろうか……張る絶つというばかりにや・目もかすみ、身好しのの山ばも、ぼんやり今朝は見るのだろうか)
心得るべき、言の戯れと言の心
「春…季節の春…青春…春情」「たつ…立つ…季節がくる…ものが起立する…断つ…絶つ…尽きる」「にや…であろうか…なのでか」「み吉野…見良しの…身好しの」「山…山ば」「かすみて…霞んで…(春霞に)かすんで…(夜の山ばの心風激しく眠っていないからかな)目がかすんで」「見…覯…媾…まぐあい」
歌の清げな姿は、吉野の山の春霞にかすむ景色にこと寄せた、立春を迎えた気分。
深き心は、青春を心にも身にも迎えた青年の心情。
心におかしきところは、想像される昨夜の激しい愛の模様と、一過性のはかないおとこの性(さが)。
和歌は、清げな姿、深い心、心におかしきところ、の三つの意味の協和である。
両歌は、それぞれの意味も上質なので、最上級の評価を受けたのだろう。
原文は、『群書類従』和歌部の「九品和歌・前大納言公任卿」による。