「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

小学4年のころ    1

2010-12-09 | 日記
4年生のときの担任の先生は優しい女の先生で、ピアノが上手だったことを覚えている。

生徒たちに人気があった先生で、電車を乗り継いで1時間くらいのところにある先生の家に、日曜日に友達10人余りと2度遊びに行ったこともあるほどで、近ければもっと行っていたでしょう。

しかし、次の年にはよその学校に転勤が決まっていて、終業式が終わった後私たちクラスのみんなを音楽室に呼んで、最後のお別れにと「エリーゼのために」を弾いてくれたのだが、この時の感動がきっかけとなって「クラシック音楽」に興味を持つようになったのである。

このときの感動は非常に強烈で、今でも「エリーゼのために」を聞くたびに先生の顔(初代コロンビアローズに似いています)を思い出すほどです。

このように、学校での生活は楽しいことだらけだったのだが・・・・。

しかし・・・・、このころからである、以前は優しかったはずの父が、夜私が寝る頃になると酒を飲んで荒れはじめるのである。

始めは母を相手に怒鳴っているのだが、余程母の対応が気に入らなかったのだろうか、「お祖父さん(母の父)の生まれ変わり」と言われていた私にその矛先が向かってくるのである。

寝ている布団の中から突然引きずる出され「殴られたり蹴られたりする」のである。

私にすれば何がなんだかさっぱりわからず、ただひたすら「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と謝るのだが、ひとたび怒り出すとどうしようもなく、じっと嵐が収まるのを待つしかなかったのである。

一般的な母親であれば、このような状態になると「身を挺して子供を守る」と言う行動を取るのだろうが、私の母は殆ど助けてはくれなかったのである。

一度は雪の降る庭に放り出されたこともあるのだが、そのときでさえ助けてくれようとはせず、このときは見かねた上の姉が助けてくれたことを覚えている。

「そんな馬鹿な!」と思う人が殆どだろうが、前回書き忘れていたのだが、親戚から聞いた話の中には「私は子供なんか欲しくなかったのに無理に生まされた」と言っていたと言う事実から考えれば「当然?」のことなのかもしれないが・・・・。

母は食事を造ることも嫌いだったようで、このころは、上の姉は高校を卒業して店を手伝い始めており、下の姉も中学2年になっていて、2人で食事を作っていたようであるが、このことも父にとっては面白くないことだったようである。

このことからわかるように、我が家には「お袋の味」と言うものは存在せず、強いて言うなら「姉たちの味」と言うべきかも知れないだろう。

そして、このころからまた新たな問題が起きてくるのである。
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