「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

小学5年のころ    3

2010-12-16 | 日記
テレビ騒動もそれほど長くは続かず、受像機の価格が下がるのとは反対に、庶民の暮らしが少しずつ豊かになり、何時の間にか収まってしまった。

次に、このころの学校給食にも触れてみることにする。

昭和30年代に入るとだいぶ様子が変わっていたらしいが、このころは未だアメリカの援助が頼りだったようである。

その典型的なものが「脱脂粉乳」である。

今ではパックまたは瓶入りの牛乳が当たり前だろうが、当時は縦長の大きな容器にクラス全員の分が入っていて、給食当番が一人ひとりに注ぎ分けていたのであるが、それ以上に驚くことがある。

多くの人は「脱脂粉乳」と言うより「スキムミルク」と言ったほうがわかりやすいかもしれないが、このころの脱脂粉乳は「全く別物」と言いたくなるほどひどいものであった。

アメリカから援助されたこの「脱脂粉乳」、アメリカと日本の国力の違いを表すかのように、入っている容器もまた桁が違うのである。

皆さんは「180リットル入りのドラム缶」をご存知だろうが、この金属製のドラム缶と同じ大きさの「紙製のドラム缶?」に入っているのである。

そして、その色にもまたびっくりするのである。

「脱脂粉乳」と言えば「牛乳から脂肪分(バター)を取り去った残りを乾燥させた粉末」なのだから、本来であれば「ミルク色」であるはずなのに、アメリカから援助されたこの脱脂粉乳、ミルク色のときもあるのだが、しばしば「ピンクやブルー」に色付けされているのである。

この、ピンクやブルーの色のミルクの日は、色がついていることがわかったとたん「エーーッ!」とか「ワーーッ!」と言う悲鳴を上げる子も多く、殆ど飲まずに残す子も珍しくなかったのである。

味も少し甘ったるい感じで、今時の子供であれば「ゲッ!」と言って吐き出してしまうであろうが、未だ貧しかったころのこと、空腹に耐えかねて「仕方なしに飲む」と言う子も多かったのであるが、私を含めた数人は「2杯3杯」と争うようにして飲んだもので、私のクラスだけが「何時もなべが空になっている」と給食を作るおばさんにほめられたものである。

ついでに言うなら、「肝油ドロップ」と言うものもよくついていたのだが、肝油ドロップを知らない人も多いだろう。

「肝油ドロップ」、当時は食糧事情がよくなかったため、「栄養失調(特にビタミン不足)」になる子供も少なくなく、それを補うために「鯨の肝臓から抽出した油」をゼラチンか何かでドロップ状に固めたものを給食に付けていたのである。

家では「肝油」そのものを味噌汁などに入れて飲まされたのだが、けして「美味しい」と言えるような代物ではありませんが、「ビタミンを補給する」と言う役割を考えれば仕方ないことではありますが・・・・。

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