「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

無事?早稲田中学に合格

2010-12-27 | 日記
今思い出しても不思議に思うのだが、このころの私は何故か非常に勉強が出来たのである。

「勉強会」で学んだこともあるのだろうが、とにかく自分でもビックリするくらい良く出来たのである、が・・・・。

このころは有名中学を受験する生徒を対象に「模擬試験」と言うものが行われ、何度か参加した覚えがあり、最も記憶に残っているのは、15,000人くらいが参加した模擬試験でタダひとり「満点」を取ったことである。

さて、私にとっては「早稲田以外は眼中に無い」のだが、このとき何とも不可解な事が起きるのである。

それは「滑り止めとして慶応中学にも願書を出す」と言うことなのである。

私にすれば、「慶応なんて全く興味がわかない学校」でしかなく、「無駄なことを・・・・」と言って程度にしか考えていなかったのである。

今はどうか知らないが、このころの慶応中学は「試験で合否を決める」のではなく、「抽選」で決めていたのであるが、ある意味「見栄」と言うこともあったのかもしれない。

基本的には、各学校から送られる書類(内申書?)で選別した後抽選するのだから「滑り止めの意味を成さない」のである。

通称?「ガラガラポン!」などと言われていたようで、福引の抽選と同じだったのである。

こんなわけで、試験を受けることも無く「不合格」となってしまうのであるが、かなり後になって考えたことがあるのだが、このとき「慶応に受かって早稲田は落ちる」と言うことになっていたらどうだったのであろうか。

これはあくまで「仮定」の話だが、「たぶん区立の中学に行っていた」であろう。

何故なら、始めに早稲田中学の合格発表があったのだが、合格発表を見に行った人からの連絡では「私の番号は無かった」と言うことだったのだが、このときの気持ちは比較的冷静で、特別ガッカリすることも無かったことを覚えています。

「慶応の発表は未だだから」と言う慰めの言葉もあったのだが、私とすれば「皆と同じ中学に行けばいい」と言う程度にしか考えておらず、慶応の発表などどうでもよかったのです。

こんなわけで、それから1時間くらい経ったころだったろうか、再確認に行った別の人から「本当は合格している」と言う連絡が入るのだが、このときも特別感激は無く、「ヘー、受かってたんだ」と言うくらいにしか感じなかったのです。

結果は。私のクラスは「3人受けて2人が合格」で、他のクラスも含めると「7人が受けて5人が合格」と言う結果になったのであるが、同じ学校から複数の合格者が出るのは珍しいことだったらしい。

試験自体はかなり自信があったのだが、始めに「ダメだった」と聞かされたときは、「あれで落ちるのだから相当レベルの高い学校だろうな」と思っていたのだが、この予感は見事に的中するのである。

中学2年になってから入学試験の結果を担任の先生から聞かされたのだが、その結果は自分の予想より良く、「理科、算数、国語、は満点で、社会は98点」と言うことで、「トップグループで合格」だったのだそうである、が・・・・。

この件については改めて書くので、今夜はこの辺で終わりにするとしよう。
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