「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

小学6年(得意絶頂?)のころ    1

2010-12-23 | 日記
私の人生の中で小学6年の1年間は「最高に輝いていた時期」と言ってもよいだろう。

よく言うところの「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればタダの人」を地で行くように、私の人生はこの時期を頂点に、後はタダひたすら下降線をたどるのである。

私が「早稲田に行く」と宣言した後、私のクラスでは7人が私立中学(学習院3人、慶応1人、早稲田3人)を目指していることがわかり、週3回(夜間)だったと思うが、担任の先生を講師にして「勉強会」と言うものが出来るのである。

この頃は「学習塾」なるものは殆ど無かったようで、この勉強会は「私設学習塾」のようなもので、私にとっては「非常に楽しい時間」でもあったのである。

何故「楽しい時間であった」かと言うと、「理科と算数は教えてもらう必要が無かった」と言うより、むしろ「先生の代わりに教えていた」と言う状態で、今思い出しても「何故あれほど出来たのだろう?」と思うほどである。

普段の授業でも、理科の実験などは「先生より私のほうが上手い」と言う有様で、まさに「得意絶頂」だったのである。

算数も得意だったのだが、中学に入ると「幾何・代数」に変わってしまい、一転して「苦手科目」になってしまうのであるが・・・・。

ついでに書いておくが、この頃、それまで使われていた「尺貫法」が「メートル法」に変わる時期に当たり、算数の期間はかなり混乱してしまい、多くの生徒が苦しんだようである。

国語も比較的よい成績だったが、社会は余り得意ではなかった。

体育は、足が遅いため走るのは苦手だったが、跳び箱、懸垂、腕立て伏せは結構得意であった。

水泳に関しては、近くに泳げるような場所も無く、学校のプールも5年の時にやった出来た状態で、そのまま今でも「カナズチ」である。

図工は、絵を描くことが苦手であったが、工作は得意で、これは今でも変わっていない。

音楽については改めて詳しく書くことにする。

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