この年の秋、何がきっかけになったのかは思い出せないのだが、私は突然「俺は早稲田に行く」と宣言したのである。
理由はいたって簡単で、野球が好きだった私は、当時野球が強かった早稲田大学に憧れただけのことで、それ以外に理由は何も無いのであるが・・・・。
今にして思えば「私が早稲田を選んだことは必然的なこと」だったように思えてならないのだが・・・・。
学校以外のことでも、私が好きになるようなことには「それなりの必然性」と言うものがあるようで、始めは何となく好きになったものが、後で考えると「なるほど」とうなずけることがよくあるのです。
このことは後々折に触れて書くことにするので、今は省略します。
早稲田に行くことを宣言したとき父は居なかったのだが、後で聞いた話では「非常に喜んでいた」らしく、このころから少しではあるが「私への風当たりが弱くなった」ように感じる。
そして、私が早稲田に行くことを宣言したことで母からある提案が出されたのであるが、その提案とは、当時の小学校では「今で言うところの、統一テスト」に当たる「標準テスト」と言うものがしばしば実施されていたのだが、このテストで「90点以上なら5円、95点以上なら10円」のご褒美がもらえると言うのである。
この標準テストだが、今ではとても信じられないと思うようなことが極当たり前に行われていたのであるが、それは、採点されて返却された答案用紙には、「参加した生徒(数万人だったか数十万人だったか忘れたが)の中の順位」までもが記載されていたのである。
今なら大騒ぎになるであろうが、当時はこの程度のことで騒ぐ人は余りいなかったようで、私はこのご褒美目当てにがんばったものである。
そして、この事がきっかけになって、それまで余り目だたなかった成績が急上昇するのである。
今の人には「5円と言うお金の値打ち」が実感できないだろうが、この頃の5円は「現在の100円以上」の値打ちがあり、1円どころか「五十銭硬貨(紙幣もあったが)」でお菓子を買うことも出来た時代なのです。
参考までに、1952年(昭和27年)4月(私が4年になった年であるが)時点の「郵便貯金の預け入れ限度額」が「10万円」だったことを参考に考えると想像出来るのではないだろうか。
最近では「2,000万円」に引き上げることが検討されていることを考えると、まさに「隔世の感」と言うほかないだろう。
弟や妹も同じように貰える事になっていたのだが、残念ながら何時も点数が足らず、殆ど貰うことが出来なかったのであるが、自分の努力不足を棚に上げて「お兄ちゃんばかりずるい!」と文句ばかり言っていたことを今でも思い出すのである。
理由はいたって簡単で、野球が好きだった私は、当時野球が強かった早稲田大学に憧れただけのことで、それ以外に理由は何も無いのであるが・・・・。
今にして思えば「私が早稲田を選んだことは必然的なこと」だったように思えてならないのだが・・・・。
学校以外のことでも、私が好きになるようなことには「それなりの必然性」と言うものがあるようで、始めは何となく好きになったものが、後で考えると「なるほど」とうなずけることがよくあるのです。
このことは後々折に触れて書くことにするので、今は省略します。
早稲田に行くことを宣言したとき父は居なかったのだが、後で聞いた話では「非常に喜んでいた」らしく、このころから少しではあるが「私への風当たりが弱くなった」ように感じる。
そして、私が早稲田に行くことを宣言したことで母からある提案が出されたのであるが、その提案とは、当時の小学校では「今で言うところの、統一テスト」に当たる「標準テスト」と言うものがしばしば実施されていたのだが、このテストで「90点以上なら5円、95点以上なら10円」のご褒美がもらえると言うのである。
この標準テストだが、今ではとても信じられないと思うようなことが極当たり前に行われていたのであるが、それは、採点されて返却された答案用紙には、「参加した生徒(数万人だったか数十万人だったか忘れたが)の中の順位」までもが記載されていたのである。
今なら大騒ぎになるであろうが、当時はこの程度のことで騒ぐ人は余りいなかったようで、私はこのご褒美目当てにがんばったものである。
そして、この事がきっかけになって、それまで余り目だたなかった成績が急上昇するのである。
今の人には「5円と言うお金の値打ち」が実感できないだろうが、この頃の5円は「現在の100円以上」の値打ちがあり、1円どころか「五十銭硬貨(紙幣もあったが)」でお菓子を買うことも出来た時代なのです。
参考までに、1952年(昭和27年)4月(私が4年になった年であるが)時点の「郵便貯金の預け入れ限度額」が「10万円」だったことを参考に考えると想像出来るのではないだろうか。
最近では「2,000万円」に引き上げることが検討されていることを考えると、まさに「隔世の感」と言うほかないだろう。
弟や妹も同じように貰える事になっていたのだが、残念ながら何時も点数が足らず、殆ど貰うことが出来なかったのであるが、自分の努力不足を棚に上げて「お兄ちゃんばかりずるい!」と文句ばかり言っていたことを今でも思い出すのである。