風と花とわたし 〜

日常のささやかな喜びの輪を広げて・・・RING、リング♪ ring!

柳原白蓮 生涯展へ行ってみた!

2015-11-14 21:00:00 | 日記

11月14日

 

 

       

     笹だんご。大好きなんです。駅構内に臨時出店のお店。

     

    餡は、つぶで!。この前つぶは、売り切れだった。昨日は、

    残り少なかったけれど。やっぱり、笹だんごは、つぶ餡

 

 

 

 そして、行ってみました。

 

 

       

 

    

    柳原白蓮の生涯展。女性1人が多かったです。19:30だった  

    時間のせいもあるでしょうが。高齢の女性もお1人の方がいらっしゃ

    いました。

 

    華麗なる一族  こちら

 

    15歳で結婚。

    そこから始まる展示。

 

 

    伯母にあたる大正天皇の生母柳原愛子からの贈り物の着物と品々。

    猫でしょうか犬でしょうか、裾に真っ黒な動物が描かれていて、

    肩甲骨あたりに、文がしたためられている。

    それはそれは美しく可愛らしく絢爛豪華なお着物でした。

     歌人としての作品。

    25歳年上の福岡の炭鉱王との結婚生活の様子。

    現飯塚市に建てられている伊藤伝右衛門の広大な敷地と

    贅を尽くしたお屋敷が映像で紹介され、

    白蓮が過ごした復元された部屋と使用した家具の展示。

    白蓮の孤独な日々に心を馳せることができます。

    7歳年下の帝大生との1000通の恋文の書簡。

    原文と現代語訳とが展示されています。

    便せんは色とりどり。華やかで香り立つようなものです。

    腹心の友、村岡花子との書簡。

    白蓮事件。

    主人の伊藤伝右衛門と東京に上京し、その後、忽然と姿を消し、

    翌日には、白蓮から夫  伝右衛門への「絶縁状」が新聞紙面に掲載。

    そして、1000通もの書簡を交換し、密通を重ねた

    7歳年下の弁護士宮崎龍介と駆け落ち。

    姦通罪があったあの当時。そして、あの時代、爵位のある女性が

    起こすとは、想像もつかない、世の中をあっと言わせた出来事でした。

    幽閉時代。

    愛を成就させ、恋を勝ち取ったようにみえた白蓮。

    しかし、世間も身内もそう簡単に白蓮の生き方を受けいることはなく、

    また、親族も白蓮の事件の引責を負うことになります。

    さらに、白蓮は長男を身籠り出産しますが、

    龍介と暮らすことも許されず、2年を過ごします。

    宮崎龍介との人生。

    その後、両親もなくなり、龍介のお母さんに温かく迎えいれられ、

    一男一女をもうけ、爵位もはく奪され、一般人として普通の人生を迎えます。

    そんな中、人生はまた白蓮に過酷な試練を与えます。

    結核が再発し、思うように弁護士活動が出来ない夫を金銭面も含め支えます。

    そして、愛してやまない長男香織を戦争で亡くします。

    その死をきっかけに、平和運動に励んで行きます。

    70代になると、緑内障で目が見えない不自由な生活をしいられましたが、

    夫  龍介の手厚い手助けを受けながら、81歳で、生涯を閉じました。

    

 

 柳原白蓮の半生を映画にした1946年「麗人」は知りませんでしたが、

 菊池寛の「真珠婦人」のモデルだったこと、

 事件や白蓮については知っていました。

 NHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」でも記憶に新しいですね。

 

 そして、偶然にもチケットをいただいて訪れて。

 

 100点の品々を観て、生涯を辿っていくと・・・。

 

 知らず知らずの内に自分の顔が歪み、何とも言えない、

 愛を貫いた・・・ふーーーん。

 という拒否反応が出てきました。

 

 その中でも、絶縁状がどんな経由で新聞に掲載されたのか疑問

 を持っていましたが、

 龍介氏と友人の赤松氏、早川氏が「世の中をあっと言わせたい」との思いで

 練り上げ、白蓮を出奔させ、新聞記事にしたということを知り、 

 

 やはり、男性の反骨精神、反社会的な精神が突き動かした社会現象だったのか。

 

 白蓮はその様子をどう思っていたのか。

 村岡花子との書簡で伝わってきますが・・・。

 愛は、お金では買えないし、複雑な環境、そして、心の通わない結婚生活が

 どんなに孤独かは理解できても、何故、そこまでしなければならなかったのか。

 白蓮は利用されたのか。

 

 私は、苦々しい思いになりました。

 

 

 でも、

 伯母の柳原愛子からの着物

 

 刺繍屏風。

 駆け落ち後、支援してくれた宇城信五郎氏が設立した

 東筑紫学園に送った短冊や屏風。

 その中でも、刺繍屏風というものが見事な作品で心奪われ。

 

 柳原家に代々伝わった人形で白蓮が大層可愛がった人形。

 福岡へ嫁ぐときに同じ物を作らせていつも自分の側に置いていた。

 その人形は、存在はしていましたが、ボロボロで。

 その後、白蓮の娘さんが蘇らせたということで、飾られていた

 「みどり丸」が、ちょっと生意気な顔なのですが、まだ何も知らない

 いたずら小僧ぽくて、もしかしたら、白蓮は最初の結婚で産んだ男の子

 を重ねていたんではないかしら・・・と、勝手に想像し、

 

 これらが、私の心を穏やかに、また和やかにしてくれました

 

 「みどり丸」・・・・90センチくらいはあるでしょうか。

 お人形というよりは、子供という感じです。着せ替えの着物あり、

 ボロボロでしたが、展示されていました。

 

 そして最後に。

 老いということ。

 

 釈尊が悟りを得る時、

 色々な欲を投げかけられるという話があるのですが、

 欲の中で、美しい女性というものがありますが、

 その時釈尊は「美しいといえども、時がくればその美しさも

 跡かたなく、老いさらばえる」と悟りの境涯を微動だにしませんでした。

 その言葉がふと聞こえた気がするほど、

 申し訳ないですが、匂い立つほどの白蓮さんの美しさは、

 平穏な生活の中にどんどん、失われていっていました。

  

 老い・・・それは、病老死。人間の三大苦悩でもあります。

 

 その事実を自分自身にも感じる日々の中、

 更に、この生涯展で見せつけられるとは。

 人間中味が大切ですが、

 笑顔を忘れないこと。

 穏やかな心でいること。

 念じて、言いきかせて、実践していこうと心に刻みました。

 やっぱり私の目標は、小さい頃からの、

 観

 

 そして、もし、20代、30代で、この生涯展を観たなら、

 白蓮の恋に共感し、情熱に憧れたかも・・・・しれません。そう思わなかったかもしれません。

 しかし、今の年代で観ると、伝右衛門さんの胸中に自分の思いを馳せて

 しまいます。

 周りには「一度惚れた相手たい。」と批判や責める言葉を嫌ったそうです。

 伝右衛門さんは流石裸一貫、一代で富と財を築いた人だけありますね

 ご立派。敬服

 人間そうありたいものですね。

 

 

 色々な思いを引き出してくれ、与えてくださった

 生誕130年 柳原白蓮 生涯展。

 こうして、振り返ってみると、行ってよかった。有難かった

 ということになりました

 

 そして、このチケットをいただいたことは、偶然ではなかったんだな。

 これからの人生に必然なものだったとわかりました

 

 

 帰りにはお土産コーナーが

 

     

     チロリアン を買って来ました。可愛い丸い缶に

     お行儀よく並んで入っています

 

 

 

 *伊藤伝右衛門  こちら

 *伊藤伝右衛門の再婚と離婚とその後  こち

 *伊藤伝右衛門邸  こちら   こちら

  見取り図  こちら

  訪れてみたいです

 

 

      ご訪問いただきありがとうございます 

 


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