ネコのヒトビト

ネコにまつわるヒトビトについてのお話等

体験談としてのちん

2022-06-16 18:46:23 | 思ったこと
体験談としてのちん
体験談を話したいのだ
世間話として

「あら、あんたもそう?わたしもなのよ」
「やっといってきたわよ」
「まごが予約してくれてね」
「むすめが心配してくれてね」
など

ちんをめぐり話題があう なかま

なかまとの ほちょうをあわす

「えっ なんで!?どうして?」と言われるのが「コワイ」
「やるべきだとおもうから」
「みんなをまもるために」
「みんなのために」
「家族をまもるために」

など
みんなのために、やることがぎむだと言う。
みんなのことをおもいやっている と言う。

さて、ちんは安全だと、テレビでいってます。
医者も いってます

どうやってみなさんがさけられましょうか。
そりゃあ、むりもなかろうさ。
いそがしくて 調べる術もない。

しかし、身体にいれるものは privateなものですよ。
そして、国情と、世界情勢をごらんなさい
この時系列をごらんなさい
病気がはじまるまえに もうつくられていた
ちん
そして
病気がはじまったとたん
防護服と マスクを 他国へ送ってしまった各地の自治体の首長。

サインはいくらでもあった
そして、
自分の身体は一つなんです

道理があわないといっても、それでも
ここまできてしまった。

じょうほうとうせいというのは、とてもおそろしいものなんだな
じょうほうをあたえられ、それを信じるというのは。

あらゆる段階で、いろんな 「教える」に出会ってきた
私たち。
「ちょっとまって、それは本当だろうか?よく調べてみる」という
慎重さや、不動の心は せかす人々の不評をかう
この日本社会という構造のたくみさ

私たちは、個人と 集団のなかで
自分の意思表示をしっかりして
自分の境界線を侵入させないようにする
という訓練を あまりしないできてしまった。

あなたとわたし、という境界線が、
どこもあいまいで
まるで家族が自分の「もの」で
自分の思ったとおり「動いてくれるべき」という期待を捨てきれない。

それは、誰に対しても
国家、自治体、会社組織についても同じ。

この期待と、境界線に対するあいまいさ

こんなに
それが しょうがいになるとはおもわなかった
こんなに
「だれかのために」を
ぶきにされる日がくるとはおもわなかった。

なんと言われようと
自分の命をまもる という主張ができないでいる。
そして、なにかがあると「だれかのせいに」する
とりかえのきかない身体を、だいなしにして
だれかのせいにしても もう 以前の身体は戻ってこないのに。

まごがね
こどもがね
おきゃくさまのために
いろんな体験談
理由づけのために

体験談のために。


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