私はなにを隠そう、相当なコロナ脳だった。
だって、中国の武漢からコロナが広まった頃のネット情報をみていたら、
1人でも日本に入ってきたら、すごい勢いで広まるって思ってたのだ
だって、2019年の末ごろに流行り出して、それが1月ごろには数万人とも言われる死亡者を出しているという情報だった。死体袋がゴロゴロし、感染者を閉じ込め家ごと焼くなんて映像も流れてきたし、死者を広大な土地に埋めて、その土地を均して隠蔽したから航空写真でみるとその土地が赤く染まっていたとか、
そんな壮大な規模の感染が、ほんの初期(2020年の1〜3月までの間)に流れていたのである。
なぜこの期間を覚えているかというと、私はこの情報に恐れ慄き、
大阪は中国からの入国も多いし、なにしろ人口も多い為、
ここでもあっという間に広まると信じていて
3月のはじめの2週間くらい、一切の訪問サービスを止めたからである。
その頃、介護サービスはヘルパー、医療は訪問看護、訪問リハ、往診など
ほぼ毎日だれかが家に入ってきている状況だった。
初期の頃は医療従事者も呑気に構えていて、マスクの装着もアルコール消毒も徹底しておらず、ゴーグルやフェイスマスク ジアイーノまで揃えて
玄関もゾーン分けしていた(カーテンで仕切って玄関はしょっちゅう消毒していた)私との温度差は激しかった。いつも「そこまで家族を大切にしているんですね」と皮肉混じりに言われた。だって医療従事者も介護職の人たちも私たちよりもはるかに多い人々と接する機会をもつのだから、恐ろしく思わないわけにはいかない。
ところが、2週間まったくサービスを停止して、そのあと蓋をあけてみると
「コロナの患者さん、身の回りにいますか」と誰にきいても「いない」と答え、
最初に自分が抱いていた「コロナは怖い、すぐに感染拡大する筈」という「コロナ像」は「どうも違う」ということがはっきりわかった。
だって、たった数ヶ月で武漢で人々の死亡を隠蔽するために巨大な土地に人々を埋めるほどの感染症だったら、もうとっくに大阪でも多くのコロナ患者がいるはずである。実際は、どの人にきいても、どこできいても「コロナにかかった人が知り合いにいない」のが事実で、1日百人程度は診療していると思われる病院でも1週間に1人、「印象はインフルよりもしょぼい風邪」と聞かされた。
それから、コロナウィルスというものが存在するのかしないのか、ということまではまだたどり着けなかったけれど、どうもそれほど大した病気ではないかもしれない。と思い始めた。
それよりも深刻だったのは、ヒドロキシクロロキンやイベルメクチンなどの効果があると言われる治療薬(海外において)の名称そのものがYouTubeやtwitterで検閲対象になってしまったことである。ヒドロキシクロロキンの工場は爆破され、開発者夫妻は殺されたという話や、あらゆる効果がありそうな薬剤、物質について流通が禁止されたり、隠蔽されたり、というのを見ていた。
それまで防護服やらマスクやらを(県民の税金で購入したにもかかわらず、かく県の首長が中国に送ってしまうという現象をみていて)日本という国はもう政治家のレベルでもう乗っ取られているんだな、という状況を確認していたので、
とてもやばいと思ったのである。