先週の木曜日。
雨の中、家に帰るとポストの中に大きな荷物が入っていた。
どうやら何かの書籍小包らしい。
持つとズッシリと重い。
傘に片手を取られていたため
もう片方の手で何とかポストからつかみ出したその郵便物は
日本ライトハウスから送られてきた物だった。
皆さんは、日本ライトハウスをご存知でしょうか?
「社会福祉法人日本ライトハウス」とは、
視覚障害者にためのリハビリや
盲導犬の普及・育成を行う社会福祉団体です。
特に盲導犬については有名です。
身に覚えがない訳ではない。
でも、最近は付き合いがない。
よくよく包みを見てハッとした。
ズッシリとしたそれは「日本漢点字協会」の封筒に包まれていた。
どうやら日本漢点字協会の依頼により、
日本ライトハウスが私宛に送ってきたようだ。
私と依頼主の日本漢点字協会との付き合いは、
もう10年ほどになります。
忘れもしない、30代の私は、
毛の生えた程度ではあったが、
好きなドキュメンタリー番組を中心に制作し
日々忙しい生活を送っていました。
そんな中、ひとつの番組を作るうえでお世話になったのが
漢字の点字である「漢点字」を扱う「日本漢点字協会」なのです。
私はこの時、日本漢点字協会の現在の代表である
「川上リツエ」さんと「漢点字」そのものを作り出した「
川上泰一」さんの取材をしていました。
ちなみに、
駅の手すりやビール缶などで見かける一般的な「点字」というのは、
「6点カナ点字」と呼ばれるもので
6つの点の組み合わせで50音のカナ文字を表現しています。
これは視覚障害者らにとって、なくてはならない文字として
広く普及しています。
多くの人が読めはしないが、それが文字であることは
誰もが認識しているほど一般的なものです。
しかし、このカナ点字には、実は致命的とも言える弱点があるのです。
それは漢字という文字の表現ができないことです。
漢字のない「仮名」文字だけの文章だと、
同音異義語などの複雑な言葉の表現ができないのです。
例えば、ひとつ例文をあげると…
「貴社の記者が汽車に乗って帰社した」
何でもないこの文章も、「カナ」に戻して書くと
もう何がなにやら分からなくなってしまいます。
それぞれが意味を持つ漢字だからこそ伝わることが、
実はたくさんあるのです。
その不便さを何とかしたいと想い、人生を掛けて漢字の点字の開発に
取り組んだ人が、先に紹介した「川上泰一」さんなのです。
川上さんは、漢字の意味が主に「部首」によって示されていることに着目し、
長い年月を掛けて「8点漢点字」を生み出しました。
漢字自体が意味を持つという難しい部分を、
8点の「点」の組み合わせで表現することに成功したのです。
漢点字とは、点の組合せだけで複雑な文章などの表現を可能にした
究極の点字なのです。
ですが、一個人が生み出したこの漢点字は、
誰もが急いでいた時代の流れと
新しいモノを受け入れたがらない当時のさまざまな勢力に飲み込まれ、
なかなか世間には浸透しませんでした。
今でこそ少しずつ知る人も増えてきましたが、
パソコンなど通信機能のなかった当時は
まだまだ埋もれていたのです。
私がこの漢点字のことを知り、
「日本漢点字協会」に取材を申し込んだときには、
既に泰一さんは、志半ばでこの世を去っていました。
漢点字は、泰一さんの妻であるリツエさんがその後を引き継ぎ、
日々、漢点字を使うユーザーの対応と
無数にある漢字の点字への置き換え作業に挑んでいました。
妻のリツエさんは、この時77歳。
とても綺麗な白髪が印象的で物腰の柔らかなやさしい女性でした。
撮影のために自宅へ伺うたび、いつもやさしく迎えてくれたことを
今でもよく覚えています。
取材は順調に進みました。
私は少しでも「漢点字」が世に広まるお手伝いができればと願い、
何度も何度も通いつめて撮影やインタビューを行いました。
当時のリツエさんは、
夫である泰一さんの意思を引き継ぎ、
休む暇もなく一心不乱に漢字と格闘していました。
リツエさんの自宅の一室では、漢点字を真っ白な紙にプレスする
輪転機の音がいつも響いていました。
当たり前ですが、点字の本には、何も印刷されていません。
本を開いても、真っ白い紙に点字の凹凸があるだけです。
見るものすべてが私にとって新しいものだった。
私は現場で見て、感じて、話をした内容を織り込み、
ナレーション原稿を書き上げた。
幾度となく書き直し、
何日も眠れない夜を過ごした。
最終チェックにと渡した私の原稿を読んだリツエさんは、
「独り泰一を想い、寝室で泣いてしまった」と笑いながら話してくれた。
私は、観る人の心に残る番組を作ろうと必死だった。
番組はうまく出来上がり、無事放送されました。
私はこの番組でNHKから表彰もされました。
しかし、ちょうどその頃から、私は勤務地の移動など、
仕事がさらに忙しくなり、
リツエさんとすっかり疎遠になってしまっていた。
リツエさんは、番組がNHKで評価されたことをとても喜んでくれて、
受賞記念にと何度か食事に誘われていたが、
なかなか時間が作れなかった。
あっという間に10年という時が流れた。
そしてこの日、ポストにあの頃のリツエさんの情熱の結晶が届いた。
「川上漢点字・補助漢字編」
殆ど、普段の生活では使うことのないような、
難解な漢字6千字を、
8点漢点字としてまとめ上げたものだ。
気の遠くなるような作業をこなしたのであろう、
その本の厚さは、およそ4センチもある。
6千語もの難しい漢字が並ぶページは6百ページを超える。
毎日少しずつでも作業を進めれば、努力としてこんなにも残る。
皺枯れた手で一枚一枚紙を捲っていた姿を思い出す。
そんなリツエさんの情熱にまた触れた気がした。
漢字にはそれぞれ意味があり、それを使って表現される文章は素敵なのだ。
この豊かな表現力を持つ日本語の良さをすべての人に。
漢点字がもっともっと世に広まることを切に願う。
あらためて持ったその本は、
ポストから出したときよりも重かった。
雨の中、家に帰るとポストの中に大きな荷物が入っていた。
どうやら何かの書籍小包らしい。
持つとズッシリと重い。
傘に片手を取られていたため
もう片方の手で何とかポストからつかみ出したその郵便物は
日本ライトハウスから送られてきた物だった。
皆さんは、日本ライトハウスをご存知でしょうか?
「社会福祉法人日本ライトハウス」とは、
視覚障害者にためのリハビリや
盲導犬の普及・育成を行う社会福祉団体です。
特に盲導犬については有名です。
身に覚えがない訳ではない。
でも、最近は付き合いがない。
よくよく包みを見てハッとした。
ズッシリとしたそれは「日本漢点字協会」の封筒に包まれていた。
どうやら日本漢点字協会の依頼により、
日本ライトハウスが私宛に送ってきたようだ。
私と依頼主の日本漢点字協会との付き合いは、
もう10年ほどになります。
忘れもしない、30代の私は、
毛の生えた程度ではあったが、
好きなドキュメンタリー番組を中心に制作し
日々忙しい生活を送っていました。
そんな中、ひとつの番組を作るうえでお世話になったのが
漢字の点字である「漢点字」を扱う「日本漢点字協会」なのです。
私はこの時、日本漢点字協会の現在の代表である
「川上リツエ」さんと「漢点字」そのものを作り出した「
川上泰一」さんの取材をしていました。
ちなみに、
駅の手すりやビール缶などで見かける一般的な「点字」というのは、
「6点カナ点字」と呼ばれるもので
6つの点の組み合わせで50音のカナ文字を表現しています。
これは視覚障害者らにとって、なくてはならない文字として
広く普及しています。
多くの人が読めはしないが、それが文字であることは
誰もが認識しているほど一般的なものです。
しかし、このカナ点字には、実は致命的とも言える弱点があるのです。
それは漢字という文字の表現ができないことです。
漢字のない「仮名」文字だけの文章だと、
同音異義語などの複雑な言葉の表現ができないのです。
例えば、ひとつ例文をあげると…
「貴社の記者が汽車に乗って帰社した」
何でもないこの文章も、「カナ」に戻して書くと
もう何がなにやら分からなくなってしまいます。
それぞれが意味を持つ漢字だからこそ伝わることが、
実はたくさんあるのです。
その不便さを何とかしたいと想い、人生を掛けて漢字の点字の開発に
取り組んだ人が、先に紹介した「川上泰一」さんなのです。
川上さんは、漢字の意味が主に「部首」によって示されていることに着目し、
長い年月を掛けて「8点漢点字」を生み出しました。
漢字自体が意味を持つという難しい部分を、
8点の「点」の組み合わせで表現することに成功したのです。
漢点字とは、点の組合せだけで複雑な文章などの表現を可能にした
究極の点字なのです。
ですが、一個人が生み出したこの漢点字は、
誰もが急いでいた時代の流れと
新しいモノを受け入れたがらない当時のさまざまな勢力に飲み込まれ、
なかなか世間には浸透しませんでした。
今でこそ少しずつ知る人も増えてきましたが、
パソコンなど通信機能のなかった当時は
まだまだ埋もれていたのです。
私がこの漢点字のことを知り、
「日本漢点字協会」に取材を申し込んだときには、
既に泰一さんは、志半ばでこの世を去っていました。
漢点字は、泰一さんの妻であるリツエさんがその後を引き継ぎ、
日々、漢点字を使うユーザーの対応と
無数にある漢字の点字への置き換え作業に挑んでいました。
妻のリツエさんは、この時77歳。
とても綺麗な白髪が印象的で物腰の柔らかなやさしい女性でした。
撮影のために自宅へ伺うたび、いつもやさしく迎えてくれたことを
今でもよく覚えています。
取材は順調に進みました。
私は少しでも「漢点字」が世に広まるお手伝いができればと願い、
何度も何度も通いつめて撮影やインタビューを行いました。
当時のリツエさんは、
夫である泰一さんの意思を引き継ぎ、
休む暇もなく一心不乱に漢字と格闘していました。
リツエさんの自宅の一室では、漢点字を真っ白な紙にプレスする
輪転機の音がいつも響いていました。
当たり前ですが、点字の本には、何も印刷されていません。
本を開いても、真っ白い紙に点字の凹凸があるだけです。
見るものすべてが私にとって新しいものだった。
私は現場で見て、感じて、話をした内容を織り込み、
ナレーション原稿を書き上げた。
幾度となく書き直し、
何日も眠れない夜を過ごした。
最終チェックにと渡した私の原稿を読んだリツエさんは、
「独り泰一を想い、寝室で泣いてしまった」と笑いながら話してくれた。
私は、観る人の心に残る番組を作ろうと必死だった。
番組はうまく出来上がり、無事放送されました。
私はこの番組でNHKから表彰もされました。
しかし、ちょうどその頃から、私は勤務地の移動など、
仕事がさらに忙しくなり、
リツエさんとすっかり疎遠になってしまっていた。
リツエさんは、番組がNHKで評価されたことをとても喜んでくれて、
受賞記念にと何度か食事に誘われていたが、
なかなか時間が作れなかった。
あっという間に10年という時が流れた。
そしてこの日、ポストにあの頃のリツエさんの情熱の結晶が届いた。
「川上漢点字・補助漢字編」
殆ど、普段の生活では使うことのないような、
難解な漢字6千字を、
8点漢点字としてまとめ上げたものだ。
気の遠くなるような作業をこなしたのであろう、
その本の厚さは、およそ4センチもある。
6千語もの難しい漢字が並ぶページは6百ページを超える。
毎日少しずつでも作業を進めれば、努力としてこんなにも残る。
皺枯れた手で一枚一枚紙を捲っていた姿を思い出す。
そんなリツエさんの情熱にまた触れた気がした。
漢字にはそれぞれ意味があり、それを使って表現される文章は素敵なのだ。
この豊かな表現力を持つ日本語の良さをすべての人に。
漢点字がもっともっと世に広まることを切に願う。
あらためて持ったその本は、
ポストから出したときよりも重かった。