「20代の名人はあり得ない」
そう語ったのは、坂田栄男・名人(当時)
その発言の直後、坂田からタイトルを奪取したのは林海峰(当時23才)
林海峰先生が坂田先生から名人位を奪取したのは西暦1965(昭和40)年。それから多くの若手棋士がタイトル戦に挑み、タイトル奪取の最年少記録が更新された。
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↑坂田栄男先生(写真)
↓林海峰先生(写真、日本棋院のホームぺーより)
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西暦2023(令和05)年。
女流棋戦にて、史上最年少のタイトルホルダーが誕生。それが仲邑菫さん。当時13才。
その翌年には、
「上野梨紗、18才。仲邑菫、14才。
2人の年令を足しても〝32才〟」
と言う、超早熟の対戦が女流棋聖戦で実現。
A》若手棋士の成長
〜〜坂田名誉本因坊の言葉から考える〜〜
20代の名人はあり得ない__この発言は、当時の囲碁ファンへのリップサービスに加え、坂田先生が自分自身を鼓舞させる為に放った言葉らしい。
しかし、その発言には、別のバックグラウンドが。
【問】
20代の名人はあり得ない__坂田が そう断言した理由は何か?
【答】
それは何か? 坂田先生いわく、
「戦前・戦中・戦後は、今よりもプロの数が少なく、そのために勉強相手も対局相手も少なかった。
今思えば、あれでは満足に勉強なんか出来る訳がない」
しかも最悪の事に、実力の伸び盛りの時代に、日中事変〜太平洋戦争〜原爆投下と言う、人類史に残る最悪の戦時に突入してしまった。
坂田先生と同世代の碁打ちの多くにも召集令状が届き、戦地へ赴いたまま帰らぬ人に……
【問】
ではなぜ、坂田先生は戦時下で生き延び、2010年に天寿を全うする事が出来たのか?
【答】
実は坂田先生にも召集令状が来たらしく、陸軍か海軍の兵士として戦地へ、あるいは軍需工場へ行くはずが、
「肺に結核の跡あり。結核は治っている可能性があるが……」
そんな診察をされた為に、徴兵を免除され、戦地へ行く事はなかったそうです。
そんな時代と比べたら今の日本囲碁界は〝囲碁の修業に専念出来る環境〟が整っている。
なので状況次第では、最年少記録なんてものは更新しやすくなっている。
令和の日本は、プロ志望の青少年や若手棋士が囲碁の修業に専念しやすい事は、昭和初期の混乱期を憶えば、そんなのは分かりきっている。
そうした事から、現在の日本囲碁界の最重要課題の1つとして、
「上野梨紗や仲邑菫に続く若い才能を発掘・育成するために、
どれだけの資金投入・人材投入を行なっていくのか?」
そこに私は注目しています。
B》囲碁の未来を見据えた才能発掘
〜〜新宿と天豊の道場の新星たち〜〜
では、今後を担う才能を、どの様に発掘・育成していくか?
関東近郊を代表する囲碁道場の1つは、東京都新宿区の新宿囲碁教室、同じく天豊道場。
この2つの代表は藤澤一就・八段。
世界で勝てる若い世代を育てる__それを目標に活動されている。
ネット記事を読む限り、新宿囲碁教室や天豊道場での勉強・修業は、生徒同士の対局がメイン。
私個人の関心事としてプロから直接聞いた話より。
藤澤一就門下生である上野愛咲美プロの場合には、
「藤沢秀行先生や、江戸時代の碁を好んで勉強しました」
と言ってました。
で、特に重要な点の1つ。藤澤一就プロが時々ツイートされる内容を拝借すると、
「山城宏、清成哲也、結城聡、高尾紳路……等々のプロが、新宿囲碁教室などで生徒さんに直接指導(対局)されている。
他には、東京・神奈川・埼玉などのアマ代表選手など」
新宿囲碁教室や天豊道場などでの指導に協力されているプロの名前を見てみると、藤沢秀行門下の人たち。
そうした人たちからの直接指導を受けてプロになったのが、上野愛咲美、上野梨紗の姉妹。
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[写真]
◀︎上野愛咲美さん ▶︎上野梨紗さん
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今の若手、その中でも東京本院の院生経験者に限れば、洪道場をメインに、新宿囲碁教室や市川囲碁道場などの複数の教室や道場を掛け持ちしている。そうした主要な道場の多くが、創立20年〜25年になる。
ここ数年、上野愛咲美さんや一力遼さんが世界大会で優勝するよう。それは〝東京近郊の囲碁道場の20数年の歴史そのもの〟とも言えます。
ただし、それではまだまだ不十分で……
それは次回。
⭕️ 上野愛咲美さんと、上野梨紗さん。
あなたは、このお2人のどこに魅力を感じますか?
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