忙中閑話

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三重塔巡り 国宝編(6) 妙通寺(福井・小浜市) ~ 幻の餘部鉄橋

2013-02-15 | 旅行
幻の餘部鉄橋

 小浜市は、4年前に米国大統領に初めてアフリカ系のオバマ氏が選出された時、読み名が同じということ名乗りを挙げ全国的に一躍有名になった。その後、幾度か町おこしのような活動がTVで紹介されたが、今から思えばまさにほんのひと時だったように感じられる。地元の人には悪いがよほどの人でないとわざわざここに旅する人はいないだろうと思う。

 塔巡りのマニアでもないのに、ここ小浜の妙通寺に参拝することになったのは山陰線餘部(あまるべ)鉄橋のおかげである。餘部鉄橋が老朽化のためコンクリート橋に建て替えられることになり、鉄橋の最後の雄姿を見納めておきたいと思ったからだ。

しかし餘部鉄橋もこのときの旅の付録のまた付録。
ももともとは信州旅行だったのだが、その帰りに富山に立ち寄ってみたくなった。5年ほど単身赴任で過ごした富山の三階建てアパートの社宅が、その後の事業所の縮小で入居者が少なくなり撤去することになったと聞いていたので懐かしくなったのだ。転勤で富山を離れる時いくつかの鉢植えも置いてきた。それと同時に何度か行った日本海沿いの親不知海岸も再訪したくなった。そこで遠回りになるが松本から白馬、糸魚川と抜け富山へ向かった。

そして富山に立ち寄ったあと福井に宿を取り、そのときに初めて山陰経由で帰ることに決めた。餘部もいいが天橋立も行ったことがなので立ち寄ろうと思った。まさしく行き当たりばったりの旅だ。そして妙通寺は車の助手席に座る連れ合いからの提案である。近くを通るはずだからせっかくなら行ってみようと言う。国道27号線からは少し入ることになるが行ってみることにした。
国道を外れると道は寺の参道を思わせる一本道。近くの小学校(小浜市立松永小?)の生徒らしい一団がスケッチをやっていた。この三重塔も鎌倉時代に建立されたといい風格のある良い塔であった。




 ところで餘部鉄橋の方だが、妙通寺に立ち寄った後に岸壁の母で有名な舞鶴港、天橋立などを見てのんびりしたのが災いした。十分日没までには間に合うはずだったのだが、途中の京丹後市の交差点で交通事故を起してしまい、餘部鉄橋は夕闇の中。鉄橋の下はくぐったものの橋脚の下部が薄ぼんやりと見える程度で結局鉄橋の最後の姿は見れずに終わってしまった。

それにしても山陰道は整備が悪い。山陽道のようなバイパスが殆どなくカーブの多い旧道のままである。現場は国道がY字型に分岐する長い交差点で、交差点に入る直前で左手から小さな脇道が合流する。分岐点の信号がかなり先にもあり、直前の交差点の信号を見落としたようなのである。赤信号を見落とした自分の落ち度であるのは確かだが、添付した地図を見ていただけると判るようにV字型に折れ曲がった国道174号に進行方向からの国道314号が合流する複雑な交差点なのだ。そのため交差点が広く、交差というよりは交差広場になっている。おまけに進行方向の左手には建屋があって脇道は全く見えない。

幸い双方に怪我はなかったのだが、お陰で17年間乗り続けた愛車は左前部を大破して買い換える羽目になった。標高2800m(乗鞍)から海底20m(関門トンネル)までを供し、富山の融雪剤の混じった雪解けの悪路を5年間も耐えてくれた思い出深い車であり、しかも17年間で故障という故障がほとんどなかった名車でもあった。

山陰道は沿線の鳥取、島根の両県をあわせても人口200万足らず。横浜、神戸より少ない。投資効率が悪いのは確かだが、こんな変な交差点は何とかならないものだろうか。

妙通寺がかすんでしまったが、思い出深い旅ではあった。



 

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