忙中閑話

四季の移ろい、花鳥風月を楽しみつつ
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靖国神社の桜と軍神・古野少佐

2015-04-06 | 雑感

 先々週の休日に、横浜に住む三男が靖国に桜見に行ったと連絡してきた。
こちらから送った山口の桜便りをした返信として。

靖国といえば、英霊が祀られているところ。太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃に特殊潜航艇
の乗組員として参加し戦死した古野少佐(戦死により二階級特進)は母の従弟に当たる。

その旨を三男に初めて伝えたが、息子は少しは感じることはあるかも知れないがおそらく
実感はないだろう。かつて米国と戦争をしたことさえ学校で教えないので多くの若者が
その事実を知らないという。

自分自身、戦後生まれで戦争体験はなく、ましてや昭和16年の真珠湾攻撃で戦死した古
野少佐と会ったこともない。母から聞かされた時は全くの上の空で聞き流していた。

話を”軍神”に戻す。
特殊潜航艇5艇の乗組員10名のうち1名は太平洋戦争第一号の捕虜となったが、残り
9名は戦時中は”軍神”と崇め奉られて、戦意高揚に利用された。

真珠湾攻撃のいわゆる”華々しい戦果”は航空機からの攻撃によるもので、特殊潜航艇の
方は出撃はしたものの湾外で探知されて撃沈されるか暗礁に乗り上げただけで実戦には
至らなかったという。暗礁に乗り上げた艇の乗務員1名が捕虜一号ということになる。

実際に戦果は出さなかったにもかかわらず、軍部は敵空母撃沈などと大々的に喧宣し
国民は浮かれて「軍神詣」として彼らの実家に昼夜を問わず押し寄せたらしい。

そのため、家族は盛装をして茶などを出し応対に追われて気が休まる時がなかったという。
古野の母親は息子の戦死を人知れず陰で泣いていたという話もある。

そのうち、戦争が進むにつれ戦況が厳しくなって軍神どころではなくなった。そして戦後は
逆に戦争加担者として非難されるようになったという。いま”軍神”という言葉さえ知る人も
ない。

今振り返ってみると、戦没者は(言葉は悪いが)全くの犬死である。古野はわずか23歳。
戦没者の多くが補給路が確保されぬまま前線に送られたため弾なく食糧さえないという
中で病死、餓死と聞くと悲しい。
今の平和は彼ら数百万人の戦没者および空襲などの戦争被害者の上に立っていると言えるが、これほどの犠牲を払わないと平和を導き得なかったのだろうか。

世界中みんな仲よくやりましょうなどと奇麗ごとを言うつもりは毛頭ない。ただ今は国際世論
が強く、たとえ軍事大国でも武力でもって他国を侵略し占領することは不可能に近い。
クリミヤや東ウクライナのように裏で反対勢力に加勢して内部分裂させる等の薄汚い手段が
選ばれるだろう。

”軍神”ではないが今も猛々しいことの方が美化される傾向にある。
そして転進(実際は退却)、玉砕(〃全滅)、終戦(〃敗戦)、進駐軍(〃占領軍)と言葉を
換えて誤魔化す姿勢は今も変らない。”積極的平和主義”などという言葉はその一つで
ある。

少しづつ変えれば分からないが気が付けば変なことになっていた──そんなことにならない
ようによく注意しておく必要がある。

とうとう桜に関係のない話になってしまった。








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