結局、これが母との最期のお散歩となりました。
母が微かにかすれた声で言った言葉が聞き取れず
目線の先を眺めると「モクレン」の木
いつの日だったか、実家に咲いた木蓮の「木」を
母が抱きかかえお店にやってきた日がありました。
花束とはかけはなれたその物体に
私は顔を見るなり母を怒ってしまった日
実家から原付に木蓮を縛りつけ、最寄り駅まで・・
その後電車を乗り継ぎ藍風まで・・・
閉店後、その木蓮を眺めながら涙がこぼれたチクリとする思い出です。
結局私はその日、母へ「ありがとう」が言えませんでした。
だだ母は私の笑顔を見たかっただけなのだという事は
十分にわかる年頃なのに・・
あの日の母も呆れ顔の私の傍でずっと笑っていました。
そんなチクリとする思い出の木蓮が季節はずれにもかかわらず
母の目に留まるとは。
いつも母が言っていたように「千の風」になったのだと信じましょう。
またひょっこり現れそうでしかたないのだけど・・
きっと私はこれから先も木蓮を見つけるたびに
チクリとするのでしょうけれど・・
お嫁に来てからいっぱい届いた手紙を
むさぼり読み言葉を求める日が
くるのかもしれないけれど・・
私は今、悲しくて寂しくて母に会いたくてしかたないのですが、
「困っていません」
私が天国へ行くときも
母の様に子供たちが困らないように
しっかり子供たちと向き合い
見守もれる母となれますように
天国では健康な身体で
まだまだやりたかった事をいっ~ぱい楽しめますように
よんな~よんな~
まだまだ湯船で涙がこぼれます。
でもお店では本当に楽しい時間を過ごせています。
母にも、今私の周りにいる方々にもすべてに感謝
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