昨日に続いて、個人情報の話題です。
地域社会、コミュニティについてよく言われることですが、昔はそのコミュニティの構成員は互いに顔見知りで、東京のような大きな街でもそれなりに近所づきあいというものがあって、どこにどんな人が住んでいるかがわかっている状況で、見慣れないよそ者がうろうろしようものなら、すぐに声をかけられたりしたものだということがあります。
これは、個人のプライバシーがあまりない状態という意味ではネガティブな面もありますが、今日、特に今年立て続けに起こった目を覆いたくなるような凶悪な事件を防ぐには有効な状況と言えるでしょう。
どこまでプライバシーを守りながら、不快な他人からの干渉を受けずに自分の個人情報を公開できるか、その点をこれからさぐっていくのが、われわれの課題ではないでしょうか。
学校帰りの子どもに一声かける、それだけのことで子どもの安全、生命が守られるなら社会的なコストとしても安いものです。ガードマンに守られながらの登下校は異常なことだと思いますし、またコストも大変かかることです。親が必ず送り迎えすることについても、社会全体のコストということを考えれば大変なことでしょう。
子どもが安心して歩ける社会、これがかつての日本の姿だったはずです。しかし、それは幻想となってしまいました。
自分がどこの、誰であると名乗りあって安心して住める社会、それが私たちがめざす一つの理想型ではないでしょうか。
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これは、個人のプライバシーがあまりない状態という意味ではネガティブな面もありますが、今日、特に今年立て続けに起こった目を覆いたくなるような凶悪な事件を防ぐには有効な状況と言えるでしょう。
どこまでプライバシーを守りながら、不快な他人からの干渉を受けずに自分の個人情報を公開できるか、その点をこれからさぐっていくのが、われわれの課題ではないでしょうか。
学校帰りの子どもに一声かける、それだけのことで子どもの安全、生命が守られるなら社会的なコストとしても安いものです。ガードマンに守られながらの登下校は異常なことだと思いますし、またコストも大変かかることです。親が必ず送り迎えすることについても、社会全体のコストということを考えれば大変なことでしょう。
子どもが安心して歩ける社会、これがかつての日本の姿だったはずです。しかし、それは幻想となってしまいました。
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