明応9年(西暦1500年) 臨済宗妙心寺派別格地寺院
約800年前天台宗の寺院として建立されていました。
しかし世は戦国時代、お寺は荒廃いたしました。
そこで、当地の北野城主鷲見美作守保重が菩提寺として再建され、大智寺を開いたのです。
明応9年3月19日、妙心寺十世悟渓和尚門下八哲の一人、
玉浦宗眠和尚を請じ開山始祖としました。
徳川時代には幕府より十八石八斗の御朱印を受け、葵の紋を許されました。
故に現在も、勅使門・仏具・瓦に葵の紋が使用されております。
境内には樹齢700年を越す大ヒノキがある。
また近年は、本堂古瓦を使用した瓦土塀(信長塀)
が注目されている。
美濃派俳諧の始祖各務支考は、
大智寺にて6~19歳まで大智寺の弟子として過ごし、正徳元年(1711年)この地にもどり、
終の棲家とした「獅子庵」が残っている ウキペディア他より
12218歩