今年は大河ドラマで 「せごどん」を放送していますが、
せごどんで 後日放送になると思う西南の役にちなんだ話しを聞いてきました。
その前に 昌了寺墓地を見学しました。
昌了寺は、寛永14年(1637年)に 入来院16代重高が、夫人の位牌所として建立した寺院でした。(案内板より)
寺院は 廃寺となり この仁王像だけが残り、夫人を中に両脇に仁王石像が守ってくれています。
入来院氏は、鎌倉幕府から逃れて相模国の渋谷から薩摩入りした渋谷一族の一人で渋谷氏の5男だそうです。
そのお墓のお隣にあったのが、西南の役に関連した「巡査殿墓」がありました。
私も、初めて知りました。
案内板の手前の小ぶりなお墓です。
案内板をズームします。
私の曽祖父も 田原坂の戦いに参戦しているという話を祖母から聞いています。
薩軍3万人の中に入って居たんだと思うと感慨深いです。
うちのお墓の前の道が 「薩軍敗走の道」だったようで、最近看板が立てられました。
次回は、入来院氏の墓所について書きます。
せごどんで 後日放送になると思う西南の役にちなんだ話しを聞いてきました。
その前に 昌了寺墓地を見学しました。
昌了寺は、寛永14年(1637年)に 入来院16代重高が、夫人の位牌所として建立した寺院でした。(案内板より)
寺院は 廃寺となり この仁王像だけが残り、夫人を中に両脇に仁王石像が守ってくれています。
入来院氏は、鎌倉幕府から逃れて相模国の渋谷から薩摩入りした渋谷一族の一人で渋谷氏の5男だそうです。
そのお墓のお隣にあったのが、西南の役に関連した「巡査殿墓」がありました。
私も、初めて知りました。
案内板の手前の小ぶりなお墓です。
案内板をズームします。
私の曽祖父も 田原坂の戦いに参戦しているという話を祖母から聞いています。
薩軍3万人の中に入って居たんだと思うと感慨深いです。
うちのお墓の前の道が 「薩軍敗走の道」だったようで、最近看板が立てられました。
次回は、入来院氏の墓所について書きます。
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