今日は 月1回の「郷土文化財巡り」の日でした。
今回は、樋脇地区。
この樋脇は、車で通過するだけで殆ど言って良いぐらい何も知らない地区です。
市のマイクロバスに乗り込んで、25人位で巡りました。
最初に行った所は、石室(いしむろ)
初め聞いて 信じられないと びっくりしました。
「快慶入定(かいけいにゅうじょう)の石室」
快慶というお坊さんは、樋脇地区に在る瑠璃光寺の住職でしたが、寛文6年(1666年)に住職を弟子に譲り 隠居寺の栄源寺の脇の土地に深さ2m50cm位で 幅1m余り四方の石室を掘らせ 生きながら入室し 石蓋をしてその上に石塔を建てさせた。
読経三昧の日々で、僅かばかりの隙間から差し入れされるおにぎりや水で 2年数ヶ月過ごし成仏されたとの説明でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c3/e162206360a0dbfc0fac0650da29396e.jpg)
初め意味が理解できず、罰を受けて入ったのですか?と聞いてしまいました。
自分から進んで入ったと聞いて びっくりでした。
今まで史跡を巡って 1番のショックでした。
石塔は、5輪塔になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a6/54347b3d54355fa2c960eadef1d11dbd.jpg)
次に行ったのは、「瑠璃光寺跡石塔群」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/31/a1b4033381d9462a8bbe17530a755a93.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/48/59d3d954b9a76b063681f46a0dfd8e3e.jpg)
この瑠璃光寺は、文化6年(1474)し 以来樋脇郷の祈願寺として栄えてきましたが、明治維新の廃仏棄釈でばらばらになりました。
のちに 拾い寄せ集めたそうです。
まだまだ ありますが、又後日にアップします。
今回は、樋脇地区。
この樋脇は、車で通過するだけで殆ど言って良いぐらい何も知らない地区です。
市のマイクロバスに乗り込んで、25人位で巡りました。
最初に行った所は、石室(いしむろ)
初め聞いて 信じられないと びっくりしました。
「快慶入定(かいけいにゅうじょう)の石室」
快慶というお坊さんは、樋脇地区に在る瑠璃光寺の住職でしたが、寛文6年(1666年)に住職を弟子に譲り 隠居寺の栄源寺の脇の土地に深さ2m50cm位で 幅1m余り四方の石室を掘らせ 生きながら入室し 石蓋をしてその上に石塔を建てさせた。
読経三昧の日々で、僅かばかりの隙間から差し入れされるおにぎりや水で 2年数ヶ月過ごし成仏されたとの説明でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/c3/e162206360a0dbfc0fac0650da29396e.jpg)
初め意味が理解できず、罰を受けて入ったのですか?と聞いてしまいました。
自分から進んで入ったと聞いて びっくりでした。
今まで史跡を巡って 1番のショックでした。
石塔は、5輪塔になっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/a6/54347b3d54355fa2c960eadef1d11dbd.jpg)
次に行ったのは、「瑠璃光寺跡石塔群」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/31/a1b4033381d9462a8bbe17530a755a93.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/48/59d3d954b9a76b063681f46a0dfd8e3e.jpg)
この瑠璃光寺は、文化6年(1474)し 以来樋脇郷の祈願寺として栄えてきましたが、明治維新の廃仏棄釈でばらばらになりました。
のちに 拾い寄せ集めたそうです。
まだまだ ありますが、又後日にアップします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます