市民大学講座の一環で
今年度は、「渋谷氏文化財巡り」があります。
5月から始まり 今日は第2回目。場所は入来地区。
9時に公民館を出発して 入来地区へ。
今回訪れた所は、渋谷有重の供養塔
昌了寺墓地 三十三観音塔 入来院領主古石塔 の 4ヶ所でした。
渋谷有重氏とは、鎌倉時代の弘安の役(
元寇)に入来から80名を率いて出陣し、筑前博多の海で戦死した方です。
この供養塔は、基礎石にかさ石をかぶせ、その上に納骨用の円塔を乗せ、更にその上にかさ石をかぶせて最上段に相輪を置く珍しい型で、県内では他にはないみたいです。
右が鎌倉時代に建てられた供養塔。
時代が過ぎて崩れたところもでてきています。
左は、後年に建てられたレプリカ。
有重氏は 戦功が著しくて結果は戦死したけれど、戦功賞として、鎌倉幕府から
筑前の国早良郡比伊郷(現在の福岡市内)を給与されました。
「案内板より」
直ぐそばに、お供の仏像が供養塔を御守りしていました。
700年前のジンギスカンとの戦いに こちらからも出陣した事を知り 感慨深く歴史の前に佇み聞いていました。
今日は ここまで。
今年度は、「渋谷氏文化財巡り」があります。
5月から始まり 今日は第2回目。場所は入来地区。
9時に公民館を出発して 入来地区へ。
今回訪れた所は、渋谷有重の供養塔
昌了寺墓地 三十三観音塔 入来院領主古石塔 の 4ヶ所でした。
渋谷有重氏とは、鎌倉時代の弘安の役(
元寇)に入来から80名を率いて出陣し、筑前博多の海で戦死した方です。
この供養塔は、基礎石にかさ石をかぶせ、その上に納骨用の円塔を乗せ、更にその上にかさ石をかぶせて最上段に相輪を置く珍しい型で、県内では他にはないみたいです。
右が鎌倉時代に建てられた供養塔。
時代が過ぎて崩れたところもでてきています。
左は、後年に建てられたレプリカ。
有重氏は 戦功が著しくて結果は戦死したけれど、戦功賞として、鎌倉幕府から
筑前の国早良郡比伊郷(現在の福岡市内)を給与されました。
「案内板より」
直ぐそばに、お供の仏像が供養塔を御守りしていました。
700年前のジンギスカンとの戦いに こちらからも出陣した事を知り 感慨深く歴史の前に佇み聞いていました。
今日は ここまで。
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