五、「教会とわたしたち」(338)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
その翌日、13日には最初の福音主義の立場による聖餐式が執行された。それまでは、派手な緋色の祭服を身にまとい、会衆には背を向けて、祭壇に相向い、「これはわたしの身体である」と称えたそのときにパンが聖なるキリストの体に変化し、聖体となったキリストを、罪の贖いとなった犠牲として先ず神に奉献する。それが人々の見慣れたミサの祭儀であったが、今や、質素
な説教ガウンを身に着けた牧師が、会衆に向かい合って正面に立ち、聖餐台の上の木の皿に盛られた小さく四角く刻まれたパンと杯のぶどう酒とを会衆に分かち与える。それまでは会衆が受けることができたのはパンのみであった。ぶどう酒は祭司が飲み干す定めであったが、今や会衆のすべての手にぶどう酒の杯が渡される。(ここまで前回)
それまで親しんでいたラテン語の讃美歌や多声音楽(ポリフォニー)による奏楽もすべて廃止され、ただ聖書の言葉の朗読だけになった。こうしてカトリックのミサ祭儀は完全に退けられた。
すなわち、ミサが挙行されるときに行われた、キリストの聖体(パンとぶどう酒)が神への犠牲(なだめの供え物)として司祭の手によって奉献されると、そのまま十字架のキリストの体の犠牲の供え物となるという「犠牲説」と、司祭の聖別の祈りによってパンとぶどう酒の実態がそのままの形でキリストの体と血とに変化するという「化体説」とがしぞけられ、福音書の最後の晩餐がそのまま聖餐式で(つづく)