日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-12-17 20:31:02 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(340)

4.近代の教会の夜明け―宗教改革とその後―

 そのカトリックのミサとの混同を避けるために、チューリヒでは、そのときから、聖餐式は、イースター、ペンテコステ、クリスマスと、秋に一回の合計、年四回だけに限られることになった。これはそのまま今日でも守られている。

ところでこれらの教会的で、かつ教会内での大きな改革また変革は、その地域共同体の貧民救済の構造に変化を与えた。それまで教会の慈善のわざと考えられてきたところの、つまり貧者に施すことによって天国への可能性を獲得するというカトリック的考え方が無用となるのであった。一五二五年一月には「救済法」が(ここまで前回)制定され、社会構造に決定的変化をもたらした。

つまり貧民救済は教会の慈善の仕事ではなく、大きくは人道的な問題として国家政治の問題であるという社会構造の変革をもたらしたのである。これはそのまま現代の社会にも受け継がれている。カトリック的な意味で慈善行為は自分自身の救いにかかわるという意味での中世的な教会特有の慈善行為であった。その働きを主として修道院が担ってきた。

結果として、人の善意によって生活する建前の中世的修道院は廃止され、その施設や基金は没収され、国家の所轄となり、とりあえずは貧民救済のために用いられることになった。以後継続的に国家が責任を持つことになる。働く力のある者は、公的な福祉事業に働き、福祉思想の発展に貢献することになった。宗教改革の「信仰のみ、恩寵のみ」が福祉労働者を(つづく)


聖書研究

2015-12-17 20:29:21 | 大分中央ウィークリー

創世記22章22章4節である。「三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、」という。「三日目になって」と。まる二日間歩いた。三日目になってどれぐらい歩いたのかは想像に任せる。歩くのが普通の時代であるから、これくらいで、60~80キロというところは一休みの距離であったのかもしれない。 

しかし、休みどころではない。「目を凝らすと、遠くにその場所が見えた」と。予定の場所に来たという、いよいよ神様からのご命令を実行に移さねばならない。やっと得た一人の息子の命をささげねばならない試練である。遅疑逡巡、複雑な心境であったに違いない。信仰的決断がここに来て試さると見るべきであろう。 

22章5節である。「アブラハムは若者に言った。『お前たちは、ろばと一緒にここに待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。』」という。4節の「三日目になって」行く先は「モリヤの地に行きなさい」(2節)との命を受けて出かけたのであるから出発点ベエル・シェバからモリヤ(「エルサレム」代下3・1)まで直線距離で約70キロ、山道であるから80キロぐらいが正解であろう。 

また、聖書では「三日目」は決定的なときを示す神が、神としてその姿または力を現す(ホセ6・2、マタ16・21他)神学的用語となっていることも知っておく必要がある。


牧 会 通 信

2015-12-17 20:23:33 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第12歌(カッコ内は筆子、その4)

◯立去れ、獣よ、このものはお前の妹に教えられて来たのではなく、お前たちの刑罰を見に行くのだから。」

  死の打撃を受けた刹那に繋(つな)ぎ策を断切つた牡牛は、歩めずにあちこちへ跳び跳ねるものだが、

  ミノタロウ(牛頭人体の怪物の名)がさうするのをわたしは見た、機敏な師は叫んだ、「下り口へ走れ、これが怒り狂つているうちに下りてしまふのだ。」(ここまで前回)

◯かうしてあの岩石の積み重なりを踏み下っていくと、岩石はしばしばわたしの足の下でつねならぬ重さのためにぐらついた。

わたしが考へ込みながら下つてゐると、師が言つた、「恐らくそなたはいまわたしが消したあの獣の怒りが監視してゐる、この岩崩れのことを考へてゐるのだろう。

では知るがいい、わたしがこの前ここから地獄の底へ下つたとき、この岸壁はまだ崩れ落ちてゐなかつたのだ。(つづく)

 

◯2015年12月13日は、今年の第五十主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「愛の実践」という主題である。箴言17章1~17節、その17節、「どのようなときにも、友を愛すれば 苦難のときの兄弟が生まれる。」という。ここに「どのようなときにも」という言葉が核心である。兄弟を愛するということは至難のわざ。この世は愛の実行あるのみ。毎日「どのようなときにも」挑戦せよ。 

◯写真は、去る11月16日(月)朝7時、沖縄・辺野古移設工事現場ゲート前で座り込む島袋文子さん86才(最高齢)。翁長雄志知事の二年目の活躍が期待される。