五、「教会とわたしたち」(340)
4.近代の教会の夜明け―宗教改革とその後―
そのカトリックのミサとの混同を避けるために、チューリヒでは、そのときから、聖餐式は、イースター、ペンテコステ、クリスマスと、秋に一回の合計、年四回だけに限られることになった。これはそのまま今日でも守られている。
ところでこれらの教会的で、かつ教会内での大きな改革また変革は、その地域共同体の貧民救済の構造に変化を与えた。それまで教会の慈善のわざと考えられてきたところの、つまり貧者に施すことによって天国への可能性を獲得するというカトリック的考え方が無用となるのであった。一五二五年一月には「救済法」が(ここまで前回)制定され、社会構造に決定的変化をもたらした。
つまり貧民救済は教会の慈善の仕事ではなく、大きくは人道的な問題として国家政治の問題であるという社会構造の変革をもたらしたのである。これはそのまま現代の社会にも受け継がれている。カトリック的な意味で慈善行為は自分自身の救いにかかわるという意味での中世的な教会特有の慈善行為であった。その働きを主として修道院が担ってきた。
結果として、人の善意によって生活する建前の中世的修道院は廃止され、その施設や基金は没収され、国家の所轄となり、とりあえずは貧民救済のために用いられることになった。以後継続的に国家が責任を持つことになる。働く力のある者は、公的な福祉事業に働き、福祉思想の発展に貢献することになった。宗教改革の「信仰のみ、恩寵のみ」が福祉労働者を(つづく)