日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2015-12-10 20:50:57 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(339)   

4.近代の教会の夜明け   ―宗教改革とその後―

それまで親しんでいたラテン語の讃美歌や多声音楽(ポリフォニー)による奏楽もすべて廃止され、ただ聖書の言葉の朗読だけになった。こうしてカトリックのミサ祭儀は完全に退けられた。すなわち、ミサが挙行されるときに行われた、キリストの聖体(パンとぶどう酒)が神への犠牲(なだめの供え物)として司祭の手によって奉献されると、そのまま十字架のキリストの体の犠牲の供え物となるという「犠牲説」と、司祭の聖別の祈りによってパンとぶどう酒の実態がそのままの形でキリストの体と血とに変化するという「化体説」とが、しりぞけられ、福音書の最後の晩餐がそのまま聖餐式で(ここまで前回)回復されたのである。

それまでのカトリックのミサは礼拝のもう一つの形式であり、従って毎日繰り返された。ミサを受けるだけで礼拝に代るということもあったから、そのカトリックのミサとの混同を避けるために、チューリヒでは、そのときから、聖餐式は、イースター、ペンテコステ、クリスマスと、秋に一回の合計、年四回だけに限られることになった。これはそのまま今日でも守られている。ところでこれらの教会的で、かつ教会内での大きな改革また変革は、その地域共同体の貧民救済の構造に変化を与えた。それまで教会の慈善のわざと考えられてきた。つまり、貧者に施すことによって天国への可能性を獲得するというカトリック的考え方が無用となるのであった。一五二五年一月には「救済法」が(つづく)


聖書研究

2015-12-10 20:49:15 | 大分中央ウィークリー

創世記22章3節である。「次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。」という。ここに、わざわざ「朝早く」とは、翻訳者が特別な時の到来と見ているようである。原文のヘブライ語を見ると、朝早くの「早く」がない。普通に「朝起きて」というよう言葉使いになっている。「そして、彼は、朝起きて、」といつものように普通に「起きた」というように読んだ方がいいのではなかろうか。 

ここでは、1節に「神はアブラハムを試された」ということばから始まっているから、彼は信仰の試練にあっている最中と見られる。従って、確かに彼の夜は、普通の夜ではなかったであろう。それにもかかわらず、神への服従と信頼に心に決めて夜眠り、普通に「朝起きて」神のご要求に従いつつ、何か神ご自身の御心を示されるのではないだろうかと。淡々と薪の準備をして二人の若者を従えたのであろう。 

22章4節である。「三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、」という。「三日目になって」と。まる二日間歩いた。三日目になってどれぐらい歩いたのかは想像に任せる。歩くのが普通の時代であるから、これくらいで、60~80キロというところは一休みの距離であったのかもしれない。 

しかし、休みどころではない。「目を凝らすと、遠くにその場所が見えた」と。予定の場所に来たという、いよいよ神様からのご命令を実行に移さねばならない。やっと得た一人の息子の命をささげねばならない試練である。遅疑逡巡、複雑な心境であったに違いない。信仰的決断がここに来て試さると見るべきであろう。


牧 会 通 信

2015-12-10 20:26:49 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第12歌(カッコ内は筆子、その3)

◯この崖の下り坂もそんなぐあひだつた、破壊された崖の縁の上には、贋の(木製の)牝牛が受胎したクレタ(島)の恥辱(牛頭人体)が

横たはつてゐた、わたしらを見るとそれは自分自身を噛んだ、激怒にげつそりするもののやうに。

賢者はそのものに向って叫んだ、「恐らくお前は上の世界でお前を殺した、アテネの君主がここにゐると思ひこんでゐるのだろう?     (ここまで前回)

◯立去れ、獣よ、このものはお前の妹に教えられて来たのではなく、お前たちの刑罰を見に行くのだから。」

  死の打撃を受けた刹那に繋(つな)ぎ策を断切つた牡牛は、歩めずにあちこちへ跳び跳ねるものだが、

  ミノタロウ(牛頭人体の怪物の名)がさうするのをわたしは見た、機敏な師は叫んだ、「下り口へ走れ、これが怒り狂つているうちに下りてしまふのだ。」(つづく) 

◯2015年12月6日は、今年の第四十九主日。日聖協「聖書愛読こよみ」は「主をあがめ ほめたたえよ」という主題である。聖書は黙示録3章1~6節、その1節、「あなたが生きているとは名ばかりで」という。世界で最初に金貨が醸造された町、サルディスの教会は、その信仰に異教の宗教習慣を残していた。われらも気をつけねばならない。

 

◯写真は、故田辺晃二(前小倉教会牧師)先生の死去に伴う、前夜祈祷会が12月2日午後6時から。小倉教会で撮影。翌3日、午後1時、葬儀執行。