五、「教会とわたしたち」(339)
4.近代の教会の夜明け ―宗教改革とその後―
それまで親しんでいたラテン語の讃美歌や多声音楽(ポリフォニー)による奏楽もすべて廃止され、ただ聖書の言葉の朗読だけになった。こうしてカトリックのミサ祭儀は完全に退けられた。すなわち、ミサが挙行されるときに行われた、キリストの聖体(パンとぶどう酒)が神への犠牲(なだめの供え物)として司祭の手によって奉献されると、そのまま十字架のキリストの体の犠牲の供え物となるという「犠牲説」と、司祭の聖別の祈りによってパンとぶどう酒の実態がそのままの形でキリストの体と血とに変化するという「化体説」とが、しりぞけられ、福音書の最後の晩餐がそのまま聖餐式で(ここまで前回)回復されたのである。
それまでのカトリックのミサは礼拝のもう一つの形式であり、従って毎日繰り返された。ミサを受けるだけで礼拝に代るということもあったから、そのカトリックのミサとの混同を避けるために、チューリヒでは、そのときから、聖餐式は、イースター、ペンテコステ、クリスマスと、秋に一回の合計、年四回だけに限られることになった。これはそのまま今日でも守られている。ところでこれらの教会的で、かつ教会内での大きな改革また変革は、その地域共同体の貧民救済の構造に変化を与えた。それまで教会の慈善のわざと考えられてきた。つまり、貧者に施すことによって天国への可能性を獲得するというカトリック的考え方が無用となるのであった。一五二五年一月には「救済法」が(つづく)